いぐちゆうとの雑記ブログ

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読書する人間は、誰かがいなきゃ寂しさを埋めることが出来ない人間なのか?

「読書する人は、相手がいなきゃ寂しさを埋めることが出来ない人。」と誰かが言っていた。

最初にこれを聞いたときは、頭の中が「?」になった。

寂しさを紛らわすために、「とりあえずテレビやYouTubeを見ています。」なら理解しやすい。(大黒摩季ら・ら・らの歌詞みたい)

どういうことだと考えていたが、なるほど理解した。

そうだ、読書は書き手の言いたいことを理解したり汲み取るための思考作業でもある。

著者との対話でもあるのだ。

うーん、なるほど。

寂しさを埋めようとしている自覚は無かったが、

テレビやYouTubeと同格に扱われることに、ちょっと新鮮味を感じてしまった。

まあ言われてみれば、確かにそういう風に捉えることもできるなとも思うし、でもなんか同格に扱われるのも嫌だなという感じもするw

純粋に楽しいから読書していたのに、寂しがり屋扱いされるなんてという感じもするし、

いやまあその、寂しがり屋なのかなという気もしてくる。(どないやねんw)

言われるまでは全然意識がなかったけど。

個人的には寂しさを埋めるために読書しているわけではないのにな。

スキルアップのために読書する時もあれば、純粋に娯楽として読む時もあるけどな。



・純粋に読むことが楽しいから読書する。

・勉強のためや何か解決方法を知りたいから読書する。

・知的好奇心を満たすために読書する。

・暇つぶしのために読書する。

・寂しさや孤独を埋めるために読書する。



まあ、読む理由なんて色々あるわけで。






おしまい。