いぐちゆうとの雑記ブログ

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2017-01-01から1年間の記事一覧

身体障害者として生きている

どうも。この文章をここに書き留めておく理由は、生きているかは定かではないが、路頭に迷った未来の俺が、いつでも読み返すことの出来るようにするためである。 俺は小児がん(神経芽細胞腫)で生まれ、5歳の時に車椅子に乗った。社会の中で、「身体障害者」…

ZARDが好き過ぎてヤバい どれくらいヤバいかというとマジヤバい

どうも。最近、ZARDの曲ばかりヘビロテしている。一切流行りの歌を聴くこともせず、ZARDばかりだ。特に、「Season」・「あなたを好きだけど」・「二人の夏」の3曲はヤバい。ちょっとヤバいくらい良すぎて、恐ろしく時間を奪われている。今日もこの…

無理して書く必要はない

どうも。「書きたいことがなければ書かなくて良い。本当に心の底から書きたいことではないのに、わざわざそれを作品にして、応募してくるな。」と評論した某作家がいる。厳しい言葉だ。が、全くその通りだと思う。自分の頭の中で思いついたことが、はっきり…

猛烈に書きたくなって書き、そしてしばらく途絶える これが俺のいつものパターンだ

どうも。 しばらくブログ更新が途絶えていたくせに、最近また急に書きたくなってきたので、こうして書いている。まるで絵具や歯磨き粉のチューブの中身を絞り出すかのように、何か自分の中で溜まってきたものを、こうしてブログに吐き出している次第である。…

餅5個、鶏肉の小間切れ、冷凍食品のホウレン草、えのき、豆腐、うどん。これらの材料をDAISOで購入した器、「レンジでラーメン丼要らず」に入れ、電子レンジで温める。味付けは「本つゆ」のみ。鶏肉のエキスが良い味を出しているし、えのきの風味も心地がよ…

久々に更新

どうも。久しぶりのブログ更新である。急に書きたくなってきたので、こうして書いている。このブログの更新履歴を振り返ってみると、なんと今年の2月で途絶えているではないか。これは一体誰のせいなのだろうか。紛れもなく、糞でポンコツな自分のせいなの…

俺の好きな女で、打線を組んでみた 2017年度版

どうも。毎年密かに、自分の好きな女で、打線を組んでいるのだが、今年もこの季節がやって来たようである。現時点での今年のスタメンが完成したので、ここにご披露したい。いや、こんなことをしている間に、さっさと三国志の続きを書けやと言われそうだが(笑…

三國志DS  どうしてこうなった  まさかの孫堅と袁術の天下争い

どうも。 世間に取り残されながらも、いまだにDS三国志をプレイしているのだが、上の画像を見て欲しい。 もはや、どうしてこうなった的な状態である。 まず、俺の領土だが、左下の肌色のマス部分である。仮想モードの新君主としてプレイし始めたのだが、最…

世界史の教科書だとかいう牙城

どうも。 2017年1月16日。俺が書いた電子書籍版の「三国志 第1巻」がAmazon無料ランキングで2位になった。現在は5日間の無料期間を終えて、117円の有料となっている。興味のある方はぜひ購入して頂き、117円というお金を、この私に恵んでやって…

久しぶりの更新

どうも。しばらく更新が途絶えていたこのブログ。それはなぜか。理由は単純明快で、書きたいと思うことが無かったからである。書きたいと思うことが無ければ、無理に書く必要はない。そう思っている。でもこれが例えば、期限が定まった雑誌の連載ものの文章…

ジョージ・オーウェルの「動物農場」を読了した

今朝、ジョージ・オーウェルの「動物農場」を読了した。人間たちに支配されている農場の動物たち。人間たちのために酷使されるその生活は、酷く苦しく、凄惨なものであった。ある時、動物たちから尊敬されていた老豚のメージャー爺さんは、彼らの前でこう演…

三国志の陶謙と公孫瓚 果たしてどちらがクソなのか。 その2

前回の続き。前回は、陶謙のクソエピソードを書いたが、今回は、公孫瓚のクソエピソードを書いていきたい。 〈公孫瓚 クソエピソード その1〉当時公孫瓚は、袁紹と抗争状態にあった。 その時、上司である劉虞が、これ以上人民を苦しめてはならぬと、両者の…

三国志の陶謙と公孫瓚、果たしてどちらがクソなのか。 その1

陶謙(トウケン)と公孫瓚(コウソンサン)。 どちらも三国志演義では、良きイメージで脚色塗装されている二人だ。演義は基本的に、劉備をメインとしているため、彼に関係のあった奴らのことは、基本的に、悪くは書かれない。この二人も、劉備と関係のあった間柄…

孔明は何に関心を寄せ、そして何を学んだか その3(最終回)

前回の続き。群雄割拠の状況においては、時代の流れは確実に、実学が必要とされていくだろうと予測し、実際にそれを学んでいた諸葛孔明であったが、 「泣いて馬謖を切る」、「法正とのやり取り」これらのシーンを見るだけでも、孔明の政治は、賞と罰の基準を…

孔明は何に関心を寄せ、そして何を学んだか その2

前回の続き。前回の記事では、孔明は、訓詁学のような学問を避け、様々な書を読み、その大略や大意を把握し、己の見聞を広めることに力を注ぐということを、自身のスタイルにしていたと書いた。また、彼の若い頃の関心事は、「経済と軍事」にあったとも書い…

3歩下がって男性の後ろをついていく、尽くすタイプ

熊切あさ美のような3歩下がって男性の後ろをついていき、尽くしまくる女性とか、今は絶滅危惧種だろ。尽くす度合いも、本人も言っていたけど、家政婦通り越して、もはや介護レベルだった。 あんなに尽くされたら、男の方が何も出来なくなり、骨抜きにされて…

孔明は何に関心を寄せ、そして何を学んだか その1

諸葛孔明。天才軍師だとか、1000年に1度の逸材だとか、今日でもこんな風に称されることの多い男であるが、一体彼は、どんなことを学んだのだろうか。そのルーツを探っていきたい。孔明は10代の頃、「徐庶・石トウ・孟建」と一緒に、遊学した。 当時の…

孔明の天下三分の計は、本当にベストな戦略だったのか 最終回(その6)

前回の続き。西暦215年、荊州の領有を巡り、孫権との関係が悪化した。荊州南部の東半分の返還を余儀なくされた。西暦219年、樊城の戦いで関羽が戦死し、荊州の支配権は、魏と呉に分割されてしまう。西暦222年、劉備は、夷陵の戦いで敗北し、翌年の西暦223年…

孔明の天下三分の計は、本当にベストな戦略だったのか その5

前回の続き。西暦211年。劉備は、劉璋からの援軍要請を受けて入蜀を果たしたが、すぐに蜀攻略を行ってはおらず、およそ3年という年月を、空費している。これはなぜか。それは、益州の牧であった劉璋が、劉備と同じ劉氏の一族だったからである。曹操や孫権に…

孔明の天下三分の計は、本当にベストな戦略だったのか その4

孔明の天下三分の計についての記事も、これで4回目となった。いつまで続くか分からないが、ボチボチ書いていきたい。 前回の続き。 前回、孫権の前で大胆にも、荊州の領有宣言を行った孔明であったが、彼の思い描いた構想通りに、事態は推移していった。孫…

「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」という書籍の感想文を読んで 退化・劣化した俺

ここでオススメの書籍を紹介しておきたい。坂口恭平さんの「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」という書籍だ。これは、phaさんの「ニートの歩き方」という書籍の中で紹介されていて、存在を初めて知ったのだけど、主に路上生活者の暮らしぶりを記録したもの…

孔明の天下三分の計は、本当にベストな戦略だったのか その3

前回の続き。〈三国鼎立へ〉前回の記事では、孔明の胸の内にあったと思われる3つの勝算を考えてみた。前回の記事の3つ目の勝算の中で、孫権サイドが、劉備と同盟を結ぶことを、拒否する可能性もあるので、成功確率を少しでも上げるために、兄の諸葛謹をパ…

孔明の天下三分の計は、本当にベストな戦略だったのか その2

前回の続き。〈孔明の3つの勝算〉天下三分の計の基本的な考え方は、長い時間をかけて、劉備勢力と曹操勢力との差を詰めていき、最終的には、劉備勢力が曹操勢力を上回り、勢力の逆転を狙うという、持久戦型の戦略であるが、孔明は、劉備が曹操に勝つ見込み…

孔明の天下三分の計は、本当にベストな戦略だったのか その1

孔明の天下三分の計は、果たしてベストな戦略だったのか。 今日は、これについて考えていきたい。〈決戦と持久戦〉まず、戦のやり方は、「決戦」と「持久戦」に大別される。「決戦」とは、直ぐに勝敗の決着を狙う戦略のことであり、「持久戦」とはその逆で、…