前回の続き。
前回の記事では、
孔明は、訓詁学のような学問を避け、様々な書を読み、その大略や大意を把握し、己の見聞を広めることに力を注ぐということを、自身のスタイルにしていたと書いた。
また、彼の若い頃の関心事は、「経済と軍事」にあったとも書いた。
黄巾の乱を契機に、中国大陸は、王朝体制の崩壊と共に、群雄割拠の時代に突入したが、同時に、学術面においても、儒教一尊から多様化の時代へと突入していった。
とりわけ、群雄割拠の状況においては、
「軍事・政治・法律・経済」という実学的な学問が重宝されやすくなるが、
すでに、この時から孔明は、儒教なども大事ではあるが、しかし今後は、実学こそがクローズアップされ、一番必要になると、時代の流れを読み取り、直感的に感じ取っていたのだろう。
実学を学ぶ上で、この時代の知識人たちに重視されたのは、歴史書であった。
そこには、あらゆる人間活動の姿が記録されており、そこから自分自身の生き方や天下平定の方策を、学び取ることが出来るからである。
孔明もまた、「国語」、「春秋左氏伝」、「史記」、「戦国策」、「東観漢記」、「漢書」などの歴史書から大いに学んだのであろう。
時代の流れを読み取りながら、
「果たして自分は、一体何をどのようにして学ぶのか」
遊学していた時点で、このようなことを考えているあたり、やはり非凡な才を有していたと、分かるのである。
次回に続く。