前回の続き。
〈三国鼎立へ〉
前回の記事では、孔明の胸の内にあったと思われる3つの勝算を考えてみた。
前回の記事の3つ目の勝算の中で、孫権サイドが、劉備と同盟を結ぶことを、拒否する可能性もあるので、成功確率を少しでも上げるために、兄の諸葛謹をパイプとして使うことも、その視野に入れていただろうと書いたが、しかし孔明の危惧は、すぐに払拭されたと言ってもよい。
なぜならば、先に孫権サイドから 、魯粛を使者として、劉備陣営に寄越してきたからである。
ここで、俺が孔明ならば、きっとこう思っただろう。
「良かった!孫権陣営は、馬鹿ではないらしい。向こうも、こちらと同じことを考えていたとは・・・。これならば話が出来る!」と。
西暦208年の7月、曹操が荊州攻略の軍を起こし、翌年の8月に、劉備が身を寄せていた、荊州の牧・劉表が病死した。
そこに、魯粛がやって来て、劉備に対して、孫権との同盟を結ぶことを説いたのである。
劉備はこれを承諾し、すぐさま孔明を、孫権陣営に派遣することを決定した。
孔明「曹操に対抗出来ないならば、臣下の礼を取り、すぐにでも降伏なさるがよろしいでしょう。」
孫権「弱小勢力のそなたたちに、そのようなことを言われたくはない。それになぜ、我々呉の勢力よりも弱小であるのに、そちらは降伏しないのだ。」
孔明「我々は、漢室再興を誓い、ここまで戦って参りました。今後も変わらずに、戦い続けるでしょう。たとえどんな強敵が立ち塞がろうともです。もしそのなかで死んだとしても、悔いはありません。むしろ、本望と言えるでしょう。」
孫権「・・・。」
孔明が孫権を挑発し、説得を成功させたと描かれることが多いこのシーンだが、実際のところ、劉備と組まないと、やがては呉も、曹操の勢力に呑み込まれる運命であると、孫権自身が一番よく分かっていたことだろう。
分かっていたからこそ、曹操に追われて南下しつつあった劉備のもとに、魯粛を派遣し、同盟を結べるかどうかの探りを入れたのだ。
孔明「曹操は、敗北したならば、一旦、北方へ撤退するでしょう。その間に、我々の勢力は強大になり、三国鼎立の状況が形勢されます。」
孫権「・・・。」
ここで孔明は大胆にも、言葉で孫権を挑発しただけでなく、三国鼎立の状況を形勢することを、ちゃっかり宣言しているのである。
まあ、孫権は事前に魯粛から、三国鼎立の話を聞かされているから良かったものの、これがもし聞かされていなかったならば、この時点で同盟は、決裂していたのではないだろうか。
ヒヤヒヤものである。
呉の陣営に、魯粛が居てくれて良かった。
君主が、もの分かりの良い、孫権で良かった。
そう思った。
俺が孫権ならば、
「おい、孔明!何ちゃっかりと、荊州の領有宣言してくれとんねん!」と、危うくキレているところだわw
次回に続く。