いぐちゆうとの雑記ブログ

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「健常者による健常者のための健常者の社会」バリアを見つけるたびにちょっぴり疎外感を味わう

俺は結構ダイソーが好きで、歯医者の帰りにたまに寄ったりする。

遊園地というかアトラクションというか、そんな楽しい娯楽施設のように感じているのだけど、


俺がよく利用する店舗の出入り口は自動ドアではなく、自力で開閉しなくてはならないタイプのドアだ。


俺の場合は自分でドアを開閉することが出来るけど、もしかしたら他の車椅子ユーザーにとってはできないかもしれない。

そのドアを見て、

「何がバリアフリー社会だよ。」って思ってしまった。

街を散策していると、バリアなんて探せばまだまだたくさんある。


まあ俺がそのドアに近づくと、店員さんたちがドアを開けてくれるのだけど、

いつも申し訳ない気持ちになる。


「店員さんごめんね。いつも無駄な労力をつかわせてしまって。」という感じだ。


自動ドアにした方が現場で働いているスタッフの方々にとっても楽だと思うのだが、

自動ドアにしない理由が何かあるのだろうか。



コストカットのために自動ドアにしないのか、それとも猫などの動物が侵入しないようにあえてしていないのか。


または最初から意識がない場合もあるな。


最初から車椅子ユーザーが利用することを想定できておらず、何にも考えていなかったかもしれない。
(車椅子ユーザーのことを忘れていた、抜け落ちていた)



真相はわからんけど、まだまだたくさんのバリアに溢れている社会だなと感じるし、

そういったバリアを見かけるたびにちょっぴり疎外感を感じる。


段差や階段などの各種のバリアを見つけるたびに、

まるで「車椅子のお前はここに入ってくるな。」と言われているような気がしてね。

「健常者による健常者のための健常者の社会」だから、

すべてを「障害者」の基準に合わせることは無理だろうし仕方ない。

まあでも、街づくりをしていく上で、色んなケースを想定してほしい。

例えば、

・今健常者であったとしても、事故に巻き込まれたり病気や怪我になったりして、いつかは車椅子になるかもしれない。



・握力や腕の力が弱い人にとっては、自力で開閉するタイプのドアは大変かもしれない。(引き戸)



・おつかいを頼まれた小さな子どもにとっては、自力でドアを開けることはしんどいかもしれない。



こんな感じで色んなケースを想定しながら、街づくりをしてほしいなと思う。

予算の関係や何かほかの事情があるかもしれないけど、

みんなにとって快適で便利な社会になるようにと願っている。


おしまい。