いぐちゆうとの雑記ブログ

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約束の時間が迫ってくると、急にキャンセルしたくなる

友達と遊ぶ約束にせよ、病院に行って治療するにせよ、

俺はいつも約束の時間が迫ってくると、

「もう今日はキャンセルしようかな。」という考えが頭に浮かんでくる。

昨日だってそうだ。

予定を組んだのは紛れもなく自分のくせに、


事前に予約している歯科での治療をキャンセルしようかなと考えてしまった。


朝に目覚めていきなり、キャンセルの電話をかけようかなと考えたけど、

「待て。電話をかけるのは朝ごはんを食べてからにしよう。」と思い直し、キャンセル電話を引き延ばすことにした。

そして実際に朝ご飯を食べてから、また電話をしようかなと思ったけど、

「いやいや。今度はシャワーを浴びてからにしよう。」と着替えの服を用意してから入浴した。


そうやってキャンセルの電話を引き延ばしつつもちゃんと出かける準備だけは整えていくという作戦で、

なんとか治療に向かうことが出来た。


広大な宇宙に比べれば本当にちっぽけなことだが、

自分に打ち克ったことを褒めてやりたい。

キャンセルの電話をかけようかどうか迷っていた時は、頭の中で天使と悪魔の声が同時に渦巻いていた。

「どうせここでキャンセルしても誰にも影響を及ぼさないし、ただ自分が虫歯で苦しむだけだ。ロキソプロフェンを持っているのだから、歯の治療なんていつでも出来るだろ。予定をキャンセルしちゃえよ。」という悪魔の声がしていた。

また一方で、

「今ここで治療しなきゃ何にも変わらないし、虫歯の痛みがずっと続いてロキソプロフェン頼みのロキソマンになるだけだぞ。ずっとロキソプロフェンを服用するのも身体に悪い。健康な歯を取り戻して長生きしたいだろ?」という天使の声も聞こえていた。

「治療したい!」と「面倒くさい!」を交互に繰り返し、勝手に自分の頭の中で葛藤していたのだけど、

なんやかんや歯科に行けて良かった。

歯医での治療って一度行きだしたら期間が長くなるのでちょっとしんどいのだが、

過去の自分の負の遺産清算するためにも、引き続き通院を頑張りたい。





おしまい。

自分のことをドラクエのキャラを育成しているかごとく捉える

ドラクエのキャラを育成するがごとく、自分のことを育成しようと考えているとちょっと面白くなってくる。

自分の知力はこんなもので、自分の運の良さはこんなものだ。

今後はどれを伸ばしていこうかと考えたりしている時間が楽しい。

(自分で勉強するのが嫌なら頭の良い人を味方につけて協力してもらえばいいし、運をよくするためには社交性をもって行動的になればいいだけ)



また、

自分のことやこの世のことを俯瞰しながら生きていると、なかなか面白く感じるものだ。


俺は現在、

外出時は車椅子を利用している35歳の独身男だが、

さてさてここからどうしたものかと毎日のように考えている。

今まで獲得したものをさらに伸ばすのか、それとも未知なるものに触れたり挑戦したりして拡大していくのか。

ホイミを覚えたらベホイミを習得できるように頑張るのか、それとも新しい呪文が使えるように挑戦するのか。もう好きにしなさい。



スキルアップのために自分の興味のあることを学ぶのも良しだし、今まで全然興味のなかったものに触れてみるのも良いな。

将棋の動画ばかりみていた人が、いきなりゴルフの動画をみてみるとか。

凝り固まった自分をぶっ壊すためにもいいかも。



また、

特に何にもせず毎日をダラダラと過ごすのもそれはそれで趣きがあって良い。

何もしないでダラダラと過ごすことが出来ない人間だっているのだから、それはもうひとつの才能なのよ多分。誇りに思いなさい。


人間どうせ最後は死ぬことが確定しているのだから、

お迎えがくるまでの期間、自分の好きなように生きていろと思うが、

みんなは自分の好きなように生きているのだろうか。

もちろんすべての時間を自分の好きなように扱いながら生きることは厳しい時もあるかもしれないが、

極力自分の好きなように過ごして死にたいものだ。


まあ自由に生きるためにはある程度のお金がいるだろうから、

先にこの世の金策について勉強して、できるだけ早く資産を築くのが良い。タバコ代やお酒代をインデックス投資に回すとかね。

自分の好きなことや得意なことを極めていたら、勝手にファンができるんじゃないか。多分な。

好きなように生きて死にたいものだ。

おしまい。





入浴後すぐにトイレに行くと負けた気になる

風呂場で股間と肛門を洗い、さっぱりした気持ちで脱衣所に出る。

バスタオルで身体を拭きながら、

「今日も俺は良いことをしたな。」と清々しい気持ちになっていると、

バスタオルで身体を拭いて刺激を受けたせいか尿意を感じ、すぐにトイレに行きたくなる時がある。

ここですぐにトイレに行ってしまうと、せっかくさっき洗ったのに汚れてしまうではないか。

「ここですぐにトイレに行けば、お前は負けたことになるのだぞ。」と心の声がする。


負けてなるものかと限界までトイレを我慢しようとするのだが、

でもやっぱり生理現象には勝てず。

「くそ!」と思いながらもトイレに行ってしまうのだが、なんかしらんけど悔しい気持ちになる。

「また洗ったらええやん。」って言われそうだけど、勝負に負けた気がするのだ。

どうせまた汚れてしまうなら股間や肛門を甘めに洗う、

「甘めの股間・甘めの肛門」にしておくという手もあるけど、

やっぱりそこは衛生上汚いので、丁寧に洗っておいた方が無難である。

(どうせ汚れるから一切洗わないという手もあるにはあるが、それは上級者向けの技法で難易度が高く、日常生活で支障をきたす場合もある)





・丁寧に洗うのが初心者 (日常生活を快適に過ごすことができるが、ちょっと手間がかかってめんどい)

・甘めに洗うのが中級者 (人間社会での信用を確保しつつも、極力労力を最低限に抑えようとするバランス思考型)

・一切洗わないのが上級者(一番労力を抑えることが出来るが、日常生活で支障をきたす可能性があり、最悪の場合は人間社会での信用を失う)


だいたいこの3つのコースに収まるかと思うのだが、コースは各自のレベルに応じて選択すればよいと考える。


たかが肛門、されど肛門。

たかが股間、されど股間

肛門や股間を洗うだけなのに、なかなか深いんだなと思えてきた。

何事も深淵というものが存在する。








(追伸)

普通に洗え。


読書する人間は、誰かがいなきゃ寂しさを埋めることが出来ない人間なのか?

「読書する人は、相手がいなきゃ寂しさを埋めることが出来ない人。」と誰かが言っていた。

最初にこれを聞いたときは、頭の中が「?」になった。

寂しさを紛らわすために、「とりあえずテレビやYouTubeを見ています。」なら理解しやすい。(大黒摩季ら・ら・らの歌詞みたい)

どういうことだと考えていたが、なるほど理解した。

そうだ、読書は書き手の言いたいことを理解したり汲み取るための思考作業でもある。

著者との対話でもあるのだ。

うーん、なるほど。

寂しさを埋めようとしている自覚は無かったが、

テレビやYouTubeと同格に扱われることに、ちょっと新鮮味を感じてしまった。

まあ言われてみれば、確かにそういう風に捉えることもできるなとも思うし、でもなんか同格に扱われるのも嫌だなという感じもするw

純粋に楽しいから読書していたのに、寂しがり屋扱いされるなんてという感じもするし、

いやまあその、寂しがり屋なのかなという気もしてくる。(どないやねんw)

言われるまでは全然意識がなかったけど。

個人的には寂しさを埋めるために読書しているわけではないのにな。

スキルアップのために読書する時もあれば、純粋に娯楽として読む時もあるけどな。



・純粋に読むことが楽しいから読書する。

・勉強のためや何か解決方法を知りたいから読書する。

・知的好奇心を満たすために読書する。

・暇つぶしのために読書する。

・寂しさや孤独を埋めるために読書する。



まあ、読む理由なんて色々あるわけで。






おしまい。



「健常者による健常者のための健常者の社会」バリアを見つけるたびにちょっぴり疎外感を味わう

俺は結構ダイソーが好きで、歯医者の帰りにたまに寄ったりする。

遊園地というかアトラクションというか、そんな楽しい娯楽施設のように感じているのだけど、


俺がよく利用する店舗の出入り口は自動ドアではなく、自力で開閉しなくてはならないタイプのドアだ。


俺の場合は自分でドアを開閉することが出来るけど、もしかしたら他の車椅子ユーザーにとってはできないかもしれない。

そのドアを見て、

「何がバリアフリー社会だよ。」って思ってしまった。

街を散策していると、バリアなんて探せばまだまだたくさんある。


まあ俺がそのドアに近づくと、店員さんたちがドアを開けてくれるのだけど、

いつも申し訳ない気持ちになる。


「店員さんごめんね。いつも無駄な労力をつかわせてしまって。」という感じだ。


自動ドアにした方が現場で働いているスタッフの方々にとっても楽だと思うのだが、

自動ドアにしない理由が何かあるのだろうか。



コストカットのために自動ドアにしないのか、それとも猫などの動物が侵入しないようにあえてしていないのか。


または最初から意識がない場合もあるな。


最初から車椅子ユーザーが利用することを想定できておらず、何にも考えていなかったかもしれない。
(車椅子ユーザーのことを忘れていた、抜け落ちていた)



真相はわからんけど、まだまだたくさんのバリアに溢れている社会だなと感じるし、

そういったバリアを見かけるたびにちょっぴり疎外感を感じる。


段差や階段などの各種のバリアを見つけるたびに、

まるで「車椅子のお前はここに入ってくるな。」と言われているような気がしてね。

「健常者による健常者のための健常者の社会」だから、

すべてを「障害者」の基準に合わせることは無理だろうし仕方ない。

まあでも、街づくりをしていく上で、色んなケースを想定してほしい。

例えば、

・今健常者であったとしても、事故に巻き込まれたり病気や怪我になったりして、いつかは車椅子になるかもしれない。



・握力や腕の力が弱い人にとっては、自力で開閉するタイプのドアは大変かもしれない。(引き戸)



・おつかいを頼まれた小さな子どもにとっては、自力でドアを開けることはしんどいかもしれない。



こんな感じで色んなケースを想定しながら、街づくりをしてほしいなと思う。

予算の関係や何かほかの事情があるかもしれないけど、

みんなにとって快適で便利な社会になるようにと願っている。


おしまい。



ふと昔を思い出した   車椅子の俺には結婚は敷居が高い

大学生の頃、「この人と結婚したいな」っていう人がいたのだけど、

やっぱり自分が車椅子ユーザーなので、その人との結婚を諦めたことがあった。

迷惑をかけるかもしれない。

苦労をかけるかもしれない。

向こうの両親もきっと、健常者の方がいいに決まっている。

そういう風に色々と自分であれこれ考えてしまって、

別れることを決めてしまった。

本当は彼女のことがめっちゃ好きなくせに、

「俺よりも良い人はいくらでもいるだろうし、絶対にそっちに行ったほうがいい。別れよう。」って格好つけて言ってしまった。



だけど当時の彼女が、

「なんでそんなんで別れる必要があるん?そんなん理由になってる?」って半分怒りながら、そして半分泣きながら言ってきた。


本当に今思えばそうだったかもしれない。


いやそんなことで別れる必要があったのかと。

別れる理由になったのかなと。


多分それ以上進むことに対して、怖かったのだと思うわ。


車椅子の俺が果たして家族を支えることができるのかと。


当時の俺は車椅子ながらも、頑張って大学で教員免許を取得したり、就活して内定をもらっていた4回生だったけど、

それでも大学生のひよっこだったしな。

あとそれと今にして思えば、ちょっと真面目過ぎたのかもな。

恋愛って難しい。

真面目過ぎてもいけないし、でも真面目な部分もないと恋愛できないような気もする。

微妙な塩梅というか、バランスをとるのは本当に難しい。


結婚生活に対して責任を伴うから、半端なことはしたくないという完璧主義な部分が顔を覗かせたのだろうか。

当時の彼女は明らかに俺と結婚したがっていた。

俺も彼女との結婚を考えていたけど、

どうしても自分の頭のなかで「身体障害者」と「責任」の両方がチラついて、

めっちゃくちゃ好きだったくせに別れることを決意した。

アホだよな。本当にアホ。

自分を殴っても殴り足りない。




俺は現状、別に誰かに介護されずとも一人暮らしできているのだけど、

将来もし子どもが生まれたら大変だろうなとか考えてしまっていた。


当時の彼女は、

「きっと今後もいろんなことが起きるだろうけど、そんなん二人で乗り越えたらええやん。」って言ってくれていたのにね。


あんなに優しい言葉をくれていたのに、今思えばホンマに俺はアホやなと。

もうホンマ、後悔しまくりの人生だわ。



結婚は勢いが大事で、冷静な判断力がつくまえにしなきゃできなくなるってのは本当かもな。(若いうちの方がいい)

年齢を重ねれば重ねるほど、子どものこととか親の介護のこととか、色んなことを総合的に考慮してしまう。

だからこそ、全然歩を進めることができない。


あれやこれやと色々考えた結果、

「もう独身でもいいや!独身でも楽しいし。」ってなるのかな。



独身と既婚のそれぞれのメリットやデメリットを考えてしまい、


その両方が見えてしまうからこそ躊躇するのだろうな。


こんなことを何も考えない人の方が、案外あっさりと結婚できてしまうだろうし。


「一緒にいて楽しかったし、尊敬できるところもあった。深く考えずに勢いで結婚した。アハハ。」って笑っていた既婚者がいたけど、

でも案外これが、一番シンプルな答えだったりしてね。




おしまい。




感謝!読者登録数が25人となりました!

どうも。

読者登録数が25人となりました。

誠にありがとうございます。

ブログから離れていた時期もありましたが、今後もゆっくりじっくり育てていきたいと思います。

皆様宜しくお願い致します。

井口佑斗


おしまい。








↑俺が書いた書籍です。良ければ読んでやって下さい。宜しくお願い致します。