いぐちゆうとの雑記ブログ

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32歳で車椅子ユーザーだけど、まだ生きてる7つの理由

どうも。

俺は車椅子ユーザーだ。

結構このブログで何度も書いてるから、知ってる人は知ってるだろう。

でも普段家の中では乗っておらず、

車椅子に乗るのは外出時だけだ。

車椅子ユーザーとして人間生活を営むことは、はっきり言って不便である。

不幸とは思ったことはないが、

不便や制限は多い。



段差や階段といった物理的な障壁が行く手を阻むことは多いし、遊園地に行けば乗れないアトラクションも結構あって不服だ。(ガキみたいな理由)

普通に生きてるだけでも何かと制限は多い。

というよりも、『普通』に生きることが叶わない。

制約下をどれだけ楽しむことが出来るのかというスタンスで生きてきたけど、

どこでどう設定を間違えたのか、

人生ゲームにおける難易度は、

間違いなくノーマル以上だろう。
(障害というものを武器にして生きた場合、難易度が下がるという考え方もある)



普段の生活の中で制限されることが多いが、

しかし30代ともなるとそれが段々と麻痺してきて、

『もうどうでもええわ。なるようになるやろ。好きにしろや。』みたいな感覚に陥る時もある。

制約下の自由をどれだけ楽しむことが出来るか。

制約を崩す方法を模索し、いかに自由の枠を広げることが出来るか。

幼少期から常にそれを意識して生きてきた。

苦しみや辛さを感じないと言えば嘘になる。

いやむしろ、普通の一般人よりかは多いかもしれない。

それにもかかわらずまだ生きている。


それはなぜなのか。

『産んでくれた母親が生きている内は死なないようにしよう!』

『たくさんの人に支えられて生きいる。まだ生きておいて、何か社会に恩返しすべきではないか。』

もちろんそれもあるにはあるが、

ちょっと自分の中では、

強い動機や理由にはなり得ない。

明らかに健康体で生まれた方が良いに
決まっているのに、

なぜまだ生きているのだろうかとちょっと考えてみた。

多分以下の7つの理由があるからだ↓


☆〈理由その1〉
『この世界の変化を見届けたいから。』

毎日、技術革新や文化の変遷は、

物凄いスピード感を持ってそれが起きている。

一体この世界はこれからどんな風に変化していくのだろうか。

それを考えるだけでワクワクしてくるし、死ぬまでの間はその変化を見ていたい。



☆〈理由その2〉
『書籍をたくさん読みたいから。』

毎日意識的に読書の時間を確保して読んでいるが、やっぱり本を読むことは好きだ。

著者との対話を通して、

『あーでもないこーでもない。』と思考するのが好きだ。

また、心震わす時だってあるし、知見も広がる。

なんて読書は素晴らしいのだろうか。



☆〈理由その3〉
『動画をたくさん見たいから。』

主にゲーム実況を見ているのだが、

これもワクワクして飽きない。

同じゲームソフトを扱っていても、

プレイする人によって、選択や判断が異なる。

その差異を楽しめるし、

『なるほどその手があったか!』と唸ることも多い。



☆〈理由その4〉
『まだ全ての世界遺産を訪れていないから。』


『人生に飽きた』とほざきながら、まだ訪れたことのない場所も多い。

地球上の全ての場所を訪れることは、

きっと一回の人生では足りないだろう。

そんなことは百も承知だが、

未開の地を踏破していくことは、

心震わすものがある。




☆〈理由その5〉
『自分の能力値がどこまで上昇するか気になるから。』


生まれてから死ぬまでの間に、

一体自分の能力値をどこまで上昇させることが出来るだろうか。

そう考えると、人生がまるでドラクエのようなRPGに思えてきて、ちょっとだけ面白くなってくる。

毎日の生活の中でコツコツと経験値を獲得し、愚直に向上させていく。

暇つぶしとしてはなかなか面白いし、

まだ生きてみるかと思えてくる。


☆〈理由その6〉
『自分が死ぬまでの間、どれだけのお金を稼げるのか知りたいから。』


お金を稼ぐことは、社会に対する目に見える貢献度の指標であるので、

これも先程の能力値の向上と同様、


死ぬまでの間、己の限界が一体どこにあるのか、それを知りたいということだ。



☆〈理由その7〉
『全国全てのデリヘル店を制覇したいから。』


これは言わずもがなであるが、

全国津々浦々、全ての店のサービスを受けてみたい。


親や社会貢献よりも、自分の中で優先度が高いらしい。

これは1番アホな理由である。


あなたにも『生きる理由』はあるだろうか?


『全世界の虫を食べるまでは死なない!』とか、

『私の生きる理由はプラモデルをつくることが楽しいからです。』とか、

それは別に何でも良いと思う。


人間、そういうのが1つあるだけで、

結構幸せに生きることが出来てしまう。

お迎えがくるまでの間、束の間の現世を楽しもうぞ。

おしまい。