どうも。
帰属先が定かではなく、アイデンティティーなるものはフラフラしている。
社会の規定上は身体障害者であるが、自分の意識の上では、普通の健常者だからだ。
このズレに悩んだ時期もあった。
障害者という枠に収めるなという思いもあったし、
正直、他の障害者のことを侮蔑もしていた。
「俺は車椅子に乗っているけど、障害者ではない!他の障害者と一緒にするな!」
こんな風に矛盾したことを思っていた。
だけど今は違う。
帰属先も分からないようなフラフラした状態でも、別にいいやと思えるようになった。
障害者だろうが、健常者だろうが、どっちでも良い。
俺は人間だ。
そして、俺という人間は、この世で俺しかいない。
若い時分は障害者と一緒にしてくれるなと凄んでいたが、今はそんな風に思わないし、他の障害者のことも侮蔑していない。
これは、「大人」になったともいえるだろう。
今後も俺は、身体障害者として生きるしかない。
人生ゲームを身体障害者としてプレイしているのだと思い、せっかく生まれてきたのだから、死ぬまで楽しんでやるか。
そんな心境である。
「窮するもまた楽しみ、通ずるもまた楽しむ。
楽しむ所は窮通に非ざるなり。」
本日のブログは、荘子の言葉で締めくくりとしたい。
おしまい。