いぐちゆうとの雑記ブログ

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メルカリでの即購入だとかいう華麗なる遊び

メルカリは楽しい。


商品を閲覧しているだけでも楽しいし、自分の欲しいものを購入出来た時は、本当に嬉しい。

あまりの楽しさに、時を忘れてしまう。

本当に良い暇潰しになる。


「いいね」がたくさんついている人気商品を狙って、皆が購入するかどうか悩んでいるところを、即購入した時の快感は堪らない。

「イェーイ!俺が買いましたー!ばーか!」とか思いながら優越感に浸れてしまう。

そんな意地汚い遊びが好きだ。

まあ、専用以外の商品なら早い者勝ちなんだから、別に何も悪いことはしていないけどな。

それにしても、いいねがたくさんついてる商品の中で、いつまで経っても購入されていないものがあるが、早く購入すればいいのにと思ってしまう。

何をそんなに迷っているのだろうか。


もしかしたら値下げを待っているのかもしれないし、今すぐには購入しないけど、とりあえず「いいね」ボタンを押しておいて、「キープ」だけでもしておこうと考えているのかもしれない。


その気持ちは分かるが、

しかし購入出来るだけのお金を持っていて、その商品が本当に心の底から欲しいなら、今すぐに買うべきである。


人生は迷ってる間に行けるし、迷ってる間に他の人に購入されてしまって、「好機」を逃してしまう恐れもある。

買え。買うのだ。

今すぐ買え。すぐに買え。

出来るだけ早く買え。

お金なんてたくさん持っていても、どうせ墓場までは持っていけないのだぞ。

その辺、分かってるのか。

メルカリはいつも、人生の大事なことをおしえてくれる。

おしまい。

個人的に切ない気持ちになるZARDの曲リスト

ZARDの「あなたを感じていたい」という曲を聴いていたら、会いたくてももう会えない人たちのことを思い出して、なんか切ない気持ちになった。



ZARDの曲を聴く前は、ゲーム実況者である牛沢氏の「ドラゴンクエストビルダーズ」の動画を閲覧していた。

イケボと心地よいS感が最高だなーとか、略奪と破壊がたまらんなーとか思いながら、とても楽しく過ごしていたのに、なぜか途中でZARDの声が聴きたくなったので、実際に聴いてみたらこれである。



どうやら俺にとってZARDの曲は、

過去の記憶を呼び起こす、トリガーの役割を果たしたらしい。


今まで楽しいと感じていた世界を、一瞬にして塗り替えてしまうZARD

その破壊力には脱帽もので、やっぱスゲーなと、改めて感心した。




最後に、個人的に切ない気持ちになるZARDの曲を、以下に列挙しておこう。

ぜひ1度聴いてみて欲しい。





☆あなたを感じていたい

My Baby Grand〜ぬくもりが欲しくて〜

☆あなたを好きだけど

☆二人の夏

☆セパレート・ウェイズ

☆Don't you see!

☆season

☆永遠



おしまい。

DAISOでの買い物 最近、全ての事が楽しい

11月30日(金)、体調が少しマシになったので、安いスマホ用のイヤフォンとハサミを購入するため、100均のDAISOへと出かけてみた。

欲しかった目当ての物をゲットした後、

DAISOの店内で何か面白いものはないかと物色していた。


インナーのパンツや靴下、シャツが安い。

消耗品なのでこれで十分ではないか。


そう思いながら商品を眺めていると、あろうことか、なぜか嬉しくなってきたのである。

眺めるという行為、ひいては買い物を行うという行為。

自分にはその自由がある。

これは何ものにも代えがたい喜びではないか。

いや、もっと言えば、ただ生きていることが嬉しかった。

ほんの1年前のはてなブログの記事の中で、自分の境遇や車椅子常用を呪っていた時もあったくせに、車椅子で外出出来る喜びやらを感じているのだから、これまた不思議なものである。


年齢の変化によって、己の心境も変化したのだろうか。

三十路になってからというもの、なぜか全ての事が楽しいと感じる。

買い物を行うという、こんなとりとめもない日常生活の一コマでさえもだ。


車椅子常用で生活していると、確かに地獄の面もあるが、それでもこのツールを用いると、ある程度の移動は、自分の好きなように出来る。


まだまだ自由なのだ。

それと同時に、この自分の境遇に対して、感謝の気持ちがわいていた。

物事は全て、ポジティブにもネガティブにも捉えることが出来る。




また、高校生や大学生だった頃は、

「この世には、俺よりも苦しんだりしている人々がいるのだから、もっと頑張って生きていかねばならない。車椅子に乗って移動出来るのだから、まだマシな方だ。」と自分自身に言い聞かせ、毎日を生きていたが、今はそんな心境ではなくなった。

あんまり肩肘を張りすぎて生きていても、ロクなことはないと知ったからだ。

それに、自分より酷い境遇の人を見て、生きる勇気をわかせようとすることは、なんかその人を下に見ているというか、その人を踏み台にして生きているような気がしたので、これはあんまり良くないなと思ったからだ。

例えば、24時間テレビなんかを見ていると、

健常者が障害者の頑張る姿を見て、

「自分も頑張ろうと思いました。」という台詞がよく出てくるが、身体障害者の俺から見れば、あれはあんまり良い気分ではない。

「お前ら障害者のことを、自分より下に見ているだろう。」と思えてくるのだ。


だからこの考え方は、やめるようになった。

それでも、自分の境遇よりも酷い人が存在しているという事実は変わらない。


変わらないのだが、

今はこの境遇に感謝の念を持つとともに、何か自分にも、役に立つことは出来ないか、そう考える日々である。(結構寄付はする)


この文章は、ホットココアを飲みながら書いた。


おしまい。

いつもの習慣をやめてみると暇な時間を捻出出来る

習慣。


この言葉の意味をネットで調べてみると、

「長い間繰り返し行われていて、そうすることが決まりのようになっている事柄」と出てきた。

なるほど。


長い間何度も同じことを繰り返していると、それを行うことがもはや当たり前になってしまい、まるで自分のなかの「決まり」や「マイルール」のようになっていくというその感覚は分かる。



これが酷い場合には、

「それをしなきゃダメだ!1日が始まらない!」とかみたいなことを言い出して、まるで自分が何かに追われているかのような感覚に陥る。




それが自分や周囲の者に害を及ぼすものでなければ良いが、害を与えたり迷惑をかけたりしてしまう場合には困りものだ。

意識的にせよ、無意識的にせよ、自分で自分を縛り付けてしまうという点では、かなりの拘束力を持っている。

「習慣の力」というものは怖い。




俺の場合、毎日繰り返し行うことを考えてみたが、

以下の4つに絞られた。



1.ポイントサイトでポイントを貯める

2.コーヒーを飲む

3.YouTubeで動画を閲覧する

4.書籍、他の人のブログ、ネットニュースを読む


(ブログを書くことは毎日行っていないため、省略してある)



自分の習慣を書き出して、ここで眺めていると、別にしなくても良いことばかりだw

ポイントサイトでポイントを貯めなくても、コーヒーを飲まなくても、動画を閲覧しなくても、文章を読まなくても、別に死ぬわけではない。



まあ、これを言い出したら、

「人生の全てのことが、本当はしなくても良いことだ。」と気付いてしまう結果になり、

「虚無人間」を作り出すことに成功するだろうがw



長い時間をかけて築かれたこの4つの習慣は、自分の暇な時間を埋めるために行われてきたものだ。



逆に言うなれば、暇な時間を捻出したければ、今行っている自分の習慣なるものを全部やめてしまえばいい。


俺の場合なら、ポイントサイトでポイントを貯める行為、コーヒーを作って飲む行為、YouTubeで動画を閲覧する行為、文章を読むという行為が該当する。

これらを全てやめてみれば、かなりの時間を捻出出来そうだし、きっとまた暇になってしまうことだろう。


自分の習慣を1日だけ禁止とかにしたら、

何もすることがなくて暇だなとウズウズしてきて、また新たな別のことを探しだすかもしれないし、ずっと寝てるかもしれないw



自分の人生に変化を及ぼしたければ、

1日24時間の内、自分はどんな習慣があるのか、

何にどれだけの時間を割いているかを書き出してみて、1度自分の目で確認して、客観視すればいい。

「時間の使い方から考えろ!」と、ドラッカー先生も仰っている。



変化を及ぼしたい場合は、

人生は時に、「引き算」が必要なのだ。

おしまい。

パブロン服用しながら療養中

お気に入りのゲームアプリ、

「サバイバルアイランド」をアンインストールしたことにより、人生の目標を見失った。

前のグラフィックが好きだったからプレイしていたのに、更新されてからのあのグラフィックでは、なんかその、ヤル気なぞ起きるわけもなかった。


それ以降というもの、少しでも気になるアプリがあれば、ジャンジャンインストールしているが、心の奥底からワクワクするようなアプリに、いまだに「邂逅」を果たしてはいない。


新たなアプリをインストールしては、すぐにアンインストールを繰り返すという、そんな無駄な日々を過ごしている。

なんたる惰性、なんたる非生産。

世の中辛辣で、実に惨いものである。



さらには、一昨日から風邪を引いてしまった。

関節痛と倦怠感、大量の鼻水という症状であったため、すぐさま自宅に常備していたパブロンを服用した。

このパブロン、先日の発熱時にネットで購入したものであるが、自宅に到着した際には快癒していたため、「時すでに遅し」という感じで、大して活躍もしなかった。


パブロンの瓶を手に取り、じっと見つめていると、あの忌まわしい記憶が蘇るので、なんか腹が立ってくる。

しかし今回は大いに活躍しているので、もうパブロンには文句は言うまい。

いやそもそも、パブロンが悪いわけではない。

ただ己のタイミングの悪さを呪えば良い話であるのに、パブロンのせいにするとは何事か。

恥を知れと思うと共に、やっぱり購入していて良かったなと、改めて常備薬の大切さを痛感するのであった。



おしまい。

ゲームアプリ 「サバイバルアイランド 」 唐突の最終回

今朝スマホの画面を見ると、ゲームアプリのサバイバルアイランドがアップデートされていた。


そうかそうか、遂にこの時が来たかと、ワクワクして起動してみると、かなりのショックを受けてしまった。



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↑なんだこれ。グラフィックというか、世界観さえも変わっていた。



無意味に島と島を繋いだ道、何階建てにするかまだ決めていなかったワケの分からない建築物。



俺の今まで築き上げてきた、あの愛らしい建築物たちはいずこに・・・。



せっかくガウディのサグラダ・ファミリアのように、今後も半永久的に建築してやろうと思っていたのに、これはあんまりではないか。( ノД`)…




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世界観が丸ごと変わるなら、せめて事前通告してくれよと思ったが、まあ、そんなわけにもいかないことぐらいは知っている。

しかし前のあの美しいグラフィックが好きだっただけに、かなり残念である。

あまりにも悲しいので、アプリごとアンインストールしてやった。


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唐突の最終回を迎え、大事な暇潰しのひとつを失った俺は、この悲しみとやるせなさを読者の皆様に伝えるべく、こうしてこのブログを更新している次第である。




「嵐は突然にやって来る」というセリフがあるが、

まさにそんな感じで、まるで路頭に迷ってしまった感覚だ。

寂しさとやるせなさ、怒りと悲しみ、色んな感情に包まれながら、このサバイバルアイランドシリーズの幕を、無理矢理閉じたい。


競馬好きの人に向かって、

「今日から競馬を廃止します。」と宣告したら、


一体どんな気持ちになるだろうか。



競艇好きの人に向かって、

「今日から競艇を廃止します。」と宣告したら、

一体どんな気持ちになるだろうか。


パチンコ・スロット好きの人に向かって、

「今日からパチンコ・スロットを廃止します。」と宣告したら、一体どんな気持ちになるだろうか。


それは想像に難くないし、きっと暴動を起こす人々に溢れ、もはや国家の存続自体が不可能となり、この国が破滅すると思う。


それと同じ感じで、

グラフィックがとても綺麗で鮮やかだったサバイバルアイランドをこよなく愛する人に向かって、

「今日からサバイバルアイランドのグラフィックがとても綺麗だった頃を廃止します。」といきなり変えられたら、一体どんな気持ちになるだろうか。


分かるだろ。これも想像に難くないはずだ。


きっとこの世は暴動を起こす者に溢れ、リアルの無人島へと大量に人が雪崩れ込み、途端にサバイバル生活を開始してしまうはずである。

これも定めだ。間違いない。



まあ、今回の件は、個人的に残念でならないが、しかしこれも何かの定めなのであろう。

諸行無常」という四字熟語が胸に響く。



今までこのアプリのおかげで、かなりの暇潰しを行えたことに対しては素直に感謝しているし、

心から「ありがとうございました。」と伝えたい。


さてこれで、人生の大きな目的を失ったわけであるが、死ぬまでの間、今後は何をして時を過ごそうか。

その思案に暮れるばかりである。



おしまい。

ゲームアプリ 「サバイバルアイランド」その5

どうも。


ゲームアプリのサバイバルアイランドには、これといった目的が決められていない。

なので各プレイヤーがどんな風に時を過ごすかは、ある程度自由だし、そこに個性が表れる。



ひたすら狩りを行うのも良し。

ひたすら建物を建築するのも良し。

ひたすら何もしないのも良しなのだ。



どんな風に時を過ごすかは本人の自由だし、目的を自らの手で作り出すという点においては、ある意味人間の人生と似ているところがある。
(人間の人生よりかは遥かに出来ることが少ないけどね)


目的を自分で作り出していかねばならないことに不安や苦痛を感じるか、それとも、

「自分の好きなように出来るやん。めっちゃええやん。」とその与えられた自由さを楽しむかは、人それぞれだ。




悲観的に過ごすのか、楽観的に過ごすのか。

どう解釈していくのか。


これも人間の人生に似ている。



サバイバルアイランドをプレイしながら、ひとりしみじみと、人間の人生について考えてしまっていた。




どんな風に時を過ごしても良いということだったので、俺は島と島を繋ぐ道を作っていこうと決めた。

なぜそう思ったのか。

それには2つの理由がある。

ひとつは、島と島を隔てる海を筏で漕いで移動するよりも、島と島を繋ぐ道の上を走った方が、速く移動することが出来るだろうと思ったからだ。

これが蒸気船とかならまだ速いだろうけど、なんせ筏での移動だ。

ちょっとスピードが遅くて鈍い。

「その遅さやゆるさをのんびり楽しめ。」、「神は急いでおられない。」と言われそうだが、どうやら俺はせっかちのようだ。




もう1つの理由としては、

単純にやることがなくて暇だったからである(笑)


このサバイバルアイランドというゲームアプリは、3日間ぐらいプレイしていると、だんだんやることがなくなってきて、とても暇になる。


だから暇潰しのために、島と島を繋ぐ道を建設しようと思ったわけだ。





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↑島と島を道で繋いでやった。



道の建設には大量の木材を伐採したし、伐採途中で何度もワニやライオンに襲われた。
(ワニやライオンはとても好戦的だ。俺のことを見かけると、向こうから襲ってくる)


おかけでかなりの時間を消費出来たので、概ね満足である。


島と島を繋いだ瞬間、目的が果たされたと同時に、目的を失った。

また自らの手で目的を作り出さねばならない。


自分で決めた目的をクリアすると、また自らの手で目的を作り出し、それに向かって走り出す。


生まれてから死ぬまでの間、人はこれを繰り返す。

ゲームアプリをプレイしていると、どうしても人間の人生に思いを馳せてしまう。


島と島を繋ぐことが出来たので、

次に俺は、高い建物を建築することに決めた。

理由は簡単で、

島を上から展望してみたいなと思ったからだ。

(島と島を繋ぐ道にせよ、高い建物にせよ、人間には創造力があるんだぞと、島の他の動物たちに示すためでもある)


建築の様子↓


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何階建てにするかはまだ決めていない。



ガウディのサグラダ・ファミリアのように、かなりの時間を潰せそうだ(笑)


おしまい。