いぐちゆうとの雑記ブログ

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いつもの習慣をやめてみると暇な時間を捻出出来る

習慣。


この言葉の意味をネットで調べてみると、

「長い間繰り返し行われていて、そうすることが決まりのようになっている事柄」と出てきた。

なるほど。


長い間何度も同じことを繰り返していると、それを行うことがもはや当たり前になってしまい、まるで自分のなかの「決まり」や「マイルール」のようになっていくというその感覚は分かる。



これが酷い場合には、

「それをしなきゃダメだ!1日が始まらない!」とかみたいなことを言い出して、まるで自分が何かに追われているかのような感覚に陥る。




それが自分や周囲の者に害を及ぼすものでなければ良いが、害を与えたり迷惑をかけたりしてしまう場合には困りものだ。

意識的にせよ、無意識的にせよ、自分で自分を縛り付けてしまうという点では、かなりの拘束力を持っている。

「習慣の力」というものは怖い。




俺の場合、毎日繰り返し行うことを考えてみたが、

以下の4つに絞られた。



1.ポイントサイトでポイントを貯める

2.コーヒーを飲む

3.YouTubeで動画を閲覧する

4.書籍、他の人のブログ、ネットニュースを読む


(ブログを書くことは毎日行っていないため、省略してある)



自分の習慣を書き出して、ここで眺めていると、別にしなくても良いことばかりだw

ポイントサイトでポイントを貯めなくても、コーヒーを飲まなくても、動画を閲覧しなくても、文章を読まなくても、別に死ぬわけではない。



まあ、これを言い出したら、

「人生の全てのことが、本当はしなくても良いことだ。」と気付いてしまう結果になり、

「虚無人間」を作り出すことに成功するだろうがw



長い時間をかけて築かれたこの4つの習慣は、自分の暇な時間を埋めるために行われてきたものだ。



逆に言うなれば、暇な時間を捻出したければ、今行っている自分の習慣なるものを全部やめてしまえばいい。


俺の場合なら、ポイントサイトでポイントを貯める行為、コーヒーを作って飲む行為、YouTubeで動画を閲覧する行為、文章を読むという行為が該当する。

これらを全てやめてみれば、かなりの時間を捻出出来そうだし、きっとまた暇になってしまうことだろう。


自分の習慣を1日だけ禁止とかにしたら、

何もすることがなくて暇だなとウズウズしてきて、また新たな別のことを探しだすかもしれないし、ずっと寝てるかもしれないw



自分の人生に変化を及ぼしたければ、

1日24時間の内、自分はどんな習慣があるのか、

何にどれだけの時間を割いているかを書き出してみて、1度自分の目で確認して、客観視すればいい。

「時間の使い方から考えろ!」と、ドラッカー先生も仰っている。



変化を及ぼしたい場合は、

人生は時に、「引き算」が必要なのだ。

おしまい。

パブロン服用しながら療養中

お気に入りのゲームアプリ、

「サバイバルアイランド」をアンインストールしたことにより、人生の目標を見失った。

前のグラフィックが好きだったからプレイしていたのに、更新されてからのあのグラフィックでは、なんかその、ヤル気なぞ起きるわけもなかった。


それ以降というもの、少しでも気になるアプリがあれば、ジャンジャンインストールしているが、心の奥底からワクワクするようなアプリに、いまだに「邂逅」を果たしてはいない。


新たなアプリをインストールしては、すぐにアンインストールを繰り返すという、そんな無駄な日々を過ごしている。

なんたる惰性、なんたる非生産。

世の中辛辣で、実に惨いものである。



さらには、一昨日から風邪を引いてしまった。

関節痛と倦怠感、大量の鼻水という症状であったため、すぐさま自宅に常備していたパブロンを服用した。

このパブロン、先日の発熱時にネットで購入したものであるが、自宅に到着した際には快癒していたため、「時すでに遅し」という感じで、大して活躍もしなかった。


パブロンの瓶を手に取り、じっと見つめていると、あの忌まわしい記憶が蘇るので、なんか腹が立ってくる。

しかし今回は大いに活躍しているので、もうパブロンには文句は言うまい。

いやそもそも、パブロンが悪いわけではない。

ただ己のタイミングの悪さを呪えば良い話であるのに、パブロンのせいにするとは何事か。

恥を知れと思うと共に、やっぱり購入していて良かったなと、改めて常備薬の大切さを痛感するのであった。



おしまい。

ゲームアプリ 「サバイバルアイランド 」 唐突の最終回

今朝スマホの画面を見ると、ゲームアプリのサバイバルアイランドがアップデートされていた。


そうかそうか、遂にこの時が来たかと、ワクワクして起動してみると、かなりのショックを受けてしまった。



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↑なんだこれ。グラフィックというか、世界観さえも変わっていた。



無意味に島と島を繋いだ道、何階建てにするかまだ決めていなかったワケの分からない建築物。



俺の今まで築き上げてきた、あの愛らしい建築物たちはいずこに・・・。



せっかくガウディのサグラダ・ファミリアのように、今後も半永久的に建築してやろうと思っていたのに、これはあんまりではないか。( ノД`)…




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世界観が丸ごと変わるなら、せめて事前通告してくれよと思ったが、まあ、そんなわけにもいかないことぐらいは知っている。

しかし前のあの美しいグラフィックが好きだっただけに、かなり残念である。

あまりにも悲しいので、アプリごとアンインストールしてやった。


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唐突の最終回を迎え、大事な暇潰しのひとつを失った俺は、この悲しみとやるせなさを読者の皆様に伝えるべく、こうしてこのブログを更新している次第である。




「嵐は突然にやって来る」というセリフがあるが、

まさにそんな感じで、まるで路頭に迷ってしまった感覚だ。

寂しさとやるせなさ、怒りと悲しみ、色んな感情に包まれながら、このサバイバルアイランドシリーズの幕を、無理矢理閉じたい。


競馬好きの人に向かって、

「今日から競馬を廃止します。」と宣告したら、


一体どんな気持ちになるだろうか。



競艇好きの人に向かって、

「今日から競艇を廃止します。」と宣告したら、

一体どんな気持ちになるだろうか。


パチンコ・スロット好きの人に向かって、

「今日からパチンコ・スロットを廃止します。」と宣告したら、一体どんな気持ちになるだろうか。


それは想像に難くないし、きっと暴動を起こす人々に溢れ、もはや国家の存続自体が不可能となり、この国が破滅すると思う。


それと同じ感じで、

グラフィックがとても綺麗で鮮やかだったサバイバルアイランドをこよなく愛する人に向かって、

「今日からサバイバルアイランドのグラフィックがとても綺麗だった頃を廃止します。」といきなり変えられたら、一体どんな気持ちになるだろうか。


分かるだろ。これも想像に難くないはずだ。


きっとこの世は暴動を起こす者に溢れ、リアルの無人島へと大量に人が雪崩れ込み、途端にサバイバル生活を開始してしまうはずである。

これも定めだ。間違いない。



まあ、今回の件は、個人的に残念でならないが、しかしこれも何かの定めなのであろう。

諸行無常」という四字熟語が胸に響く。



今までこのアプリのおかげで、かなりの暇潰しを行えたことに対しては素直に感謝しているし、

心から「ありがとうございました。」と伝えたい。


さてこれで、人生の大きな目的を失ったわけであるが、死ぬまでの間、今後は何をして時を過ごそうか。

その思案に暮れるばかりである。



おしまい。

ゲームアプリ 「サバイバルアイランド」その5

どうも。


ゲームアプリのサバイバルアイランドには、これといった目的が決められていない。

なので各プレイヤーがどんな風に時を過ごすかは、ある程度自由だし、そこに個性が表れる。



ひたすら狩りを行うのも良し。

ひたすら建物を建築するのも良し。

ひたすら何もしないのも良しなのだ。



どんな風に時を過ごすかは本人の自由だし、目的を自らの手で作り出すという点においては、ある意味人間の人生と似ているところがある。
(人間の人生よりかは遥かに出来ることが少ないけどね)


目的を自分で作り出していかねばならないことに不安や苦痛を感じるか、それとも、

「自分の好きなように出来るやん。めっちゃええやん。」とその与えられた自由さを楽しむかは、人それぞれだ。




悲観的に過ごすのか、楽観的に過ごすのか。

どう解釈していくのか。


これも人間の人生に似ている。



サバイバルアイランドをプレイしながら、ひとりしみじみと、人間の人生について考えてしまっていた。




どんな風に時を過ごしても良いということだったので、俺は島と島を繋ぐ道を作っていこうと決めた。

なぜそう思ったのか。

それには2つの理由がある。

ひとつは、島と島を隔てる海を筏で漕いで移動するよりも、島と島を繋ぐ道の上を走った方が、速く移動することが出来るだろうと思ったからだ。

これが蒸気船とかならまだ速いだろうけど、なんせ筏での移動だ。

ちょっとスピードが遅くて鈍い。

「その遅さやゆるさをのんびり楽しめ。」、「神は急いでおられない。」と言われそうだが、どうやら俺はせっかちのようだ。




もう1つの理由としては、

単純にやることがなくて暇だったからである(笑)


このサバイバルアイランドというゲームアプリは、3日間ぐらいプレイしていると、だんだんやることがなくなってきて、とても暇になる。


だから暇潰しのために、島と島を繋ぐ道を建設しようと思ったわけだ。





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↑島と島を道で繋いでやった。



道の建設には大量の木材を伐採したし、伐採途中で何度もワニやライオンに襲われた。
(ワニやライオンはとても好戦的だ。俺のことを見かけると、向こうから襲ってくる)


おかけでかなりの時間を消費出来たので、概ね満足である。


島と島を繋いだ瞬間、目的が果たされたと同時に、目的を失った。

また自らの手で目的を作り出さねばならない。


自分で決めた目的をクリアすると、また自らの手で目的を作り出し、それに向かって走り出す。


生まれてから死ぬまでの間、人はこれを繰り返す。

ゲームアプリをプレイしていると、どうしても人間の人生に思いを馳せてしまう。


島と島を繋ぐことが出来たので、

次に俺は、高い建物を建築することに決めた。

理由は簡単で、

島を上から展望してみたいなと思ったからだ。

(島と島を繋ぐ道にせよ、高い建物にせよ、人間には創造力があるんだぞと、島の他の動物たちに示すためでもある)


建築の様子↓


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何階建てにするかはまだ決めていない。



ガウディのサグラダ・ファミリアのように、かなりの時間を潰せそうだ(笑)


おしまい。

東京旅行

10月22日(月)〜10月24日(水)の3日間にかけて、家族で東京旅行に行ってきた。



1日目はスカイツリー、2日目はディズニーランド、3日目はディズニーシーへと足を運んだ。

3箇所ともベタで王道な感じだけど、三十路のオッサンはそれなりに楽しんだ。

大阪に帰ってきていつもの日常生活に戻ると、

「あーまたディズニー行きたいなー。」と思った。

人間生活に飽きて困ったという記事を前に書いておきながら、夢の国でそれなりに楽しんでいるのだから、本当に世話がない。

また、ショーやパレードでは、車椅子に乗っているものだから、優先席に案内してもらえた。

かなり近くでミッキーちゃんを拝めたので、車椅子生活も悪い話ばかりではないと感じてしまったから、現金なものである。


今回、妹は仕事で都合が合わなかったから、今度は妹も含めて行きたい。

また、母親も還暦近くになっているので、元気なうちにまた行きたいなと思った。

おしまい。

ゲームアプリ 「サバイバルアイランド」その4

遂に島と島を繋いだ。


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建設途中でゲームオーバーしたり、データが消えたりしたので、何度も諦めようと思った。

しかしこのブログで島と島を繋ぐと宣言した以上は、やるしかないと思っていた。

葛藤のなか、遂に完成させることが出来たため、

個人的に物凄く感動している。




この道を完成させるまでにかかった時間を考えだすと、

「ヤベー。三十路にもなって何してんだ。マジヤベー。」となってくるが、とにかく宣言したことは成し遂げることが出来た。

次は何をしようか。



途端に目標を失った。



おしまい。

人間での生活に飽きた

最近、人間での生活に飽きた。

何をしていても途中で飽きてくるし、本当に困ったものだ。

(ゲームアプリをしていても途中で飽きてきて、全部アンインストールしてしまう)


母親にどうすればいいのかLINEで聞いてみたら、


「自分自身で楽しみをつくりだすしかない。」という至極真っ当な答えが返ってきた。

確かにそうだよなと思った。

自分が興味あることをぐるぐるローテーションすることによって、なんとか飽きを誤魔化そうとしてるけど、そろそろ新しいことをしなければならないのだろうな。

新しいことをやりだしても、またどうせ飽きてくるだろうけどw

死ぬまでの間、何とか自分自身を誤魔化しながら生きるのだろうよ、人間は。





基本的に人間は、

「食べること→排泄すること→寝ること」の3つを、

この世に生まれてから死ぬまでの間、ずっと繰り返す。



「生きるとは何か?」と尋ねられたら、生物学上ではこの↑の3つであるといえるが、これらを繰り返している内にいつか死んでしまうのかと思うと、

虚しくなると同時に、なんか笑えてくる。

同じことをぐるぐる行ってる内に死ぬとか、

所詮人間も、動物だもんなと再認識させられる。




だからといって今すぐ人間をやめて、

「俺、今日から犬になる!」とはなかなか勇気が出ないし、いやそもそも、人間から犬になる方法を知らんw

犬自身はどう思っているかは知らんが、


客観的に見て、犬での生活なんてもっと面白くないだろうし、それならまだ人間のままの方がマシだ。

人間にはある程度の自由さが存在しているので、他の生き物になるよりかはマシだと思っているからこのままでいいけど、当の本人たちはどう思っているのだろうか。

「犬での生活めっちゃ楽しいで!」なのか、

「いや、犬での生活も飽きてくるで!」なのか。


ドラクエダーマ神殿ではジョブチェンジ出来たけど、あれと似たような感じで、人生の途中で種族チェンジ出来たらいいのにな。

他の種族での生活を体験することが出来たら、ちょっと面白そうだ。


お試し感覚で、

「俺、人間での生活にちょっと飽きてきたので、今日から犬になります。」って言ってから犬になり、


また犬での生活に飽きてきたら、


「やっぱり犬での生活にも飽きてきたので、今度はエルフになります。」とかね。



何回も種族のチェンジを行っている内に、

「やっぱり人間での生活が1番マシだな。」となりそうな予感はあるけど。







自分自身のことを俯瞰出来るからこそ、こんなことを感じてしまうわけで、そもそもこれが出来ないならば、なんも悩みがなくてお気楽かもな。

俯瞰出来る方が幸せなのか、それとも出来ない方が幸せなのか。

それは分からない。



うーん、なんだろうな。

おまけに自分自身のことだけでなく、人間の社会自体をも俯瞰してるこの感覚。


人間の社会ってホント同じことをぐるぐる繰り返してるよな、なんかアホらしいなと思ったり。


死にたいという気持ちを抱いたり、絶望感も別にないけど、

「人生への飽き」に対して困ってるという話だった。

おしまい。