いぐちゆうとの雑記ブログ

いぐちゆうとの雑記ブログです。

エネルギー源

どうも。

今日も俺は約束を守った。

我ながら偉いと思う。

何でこんなに偉くなってしまったのか。

もっと怠惰であったはずなのに、これはおかしい。

前代未聞である。

このままの勢いならば、もう小指で海をも割ることが出来るだろう。(割ってどうするのだ)

昨日気付いたのだが、ZARDのデビュー曲の声質が、他の曲よりもちょっと太い気がした。

1番若い頃の声なんだから、そりゃ他の曲を出した頃とは多少は違うだろうが、なんかとても低音なのである。

デビュー曲の声質、なんか力強くて、結構好きです。

それと「ハートに火をつけて」を聴くと、

自分が奮い起つことを発見した。

この曲のMVを撮影した日の夜に、身体の不調を訴えて、病院に救急搬送されたそうだ。

かなり無理をしていたのだと思うし、このようなエピソードを聴くと、なんか余計に泣けてくる。

「自分で選んだ人生(みち)だもの 後悔しないように」という歌詞の部分が、この胸を熱くする。

日々生きている中で、死にたい時ももちろんあるが、「そうだ自分の人生に対して、後悔しないように生きていこう。」と思った。

やはりいつでも、ZARDは素晴らしい。

俺にとってのエネルギー源である。





(追伸)

とりあえず、自分の人生に対して後悔しないように生きるため、デリヘルで1万人の女を抱きます。

そうします。

今はまだ 500人ぐらいしか達成していないので、今後も頑張ります。

そうします。

おしまい。

懐かしい記憶

どうも。

今年の10月で三十路となる。

この年齢になって、今は穏やかな気分だ。

でも学生時代はとにかくしんどかった。

特別支援学校は選ばず、健常者の行く、いわゆる「普通」の学校に通った。

大学まで無事に卒業出来たが、特に小学校・中学校時代がしんどかったなという記憶がある。

体力的にも精神的にも、まだそんなに余裕がなかったからな。


身体障害者で車椅子常用だから、周囲の環境に適合させるだけで、それだけでも毎日くたびれていた。

進路を選択する時も、ちょっと大変だった。

成績だけでなく、階段や段差の無い学校を選択しなければならない。

成績面よりも、環境面の制約の方がヤバかった。

車椅子の学生は受け入れることが出来ないと、某私立の高校に言われて、中学校側と少し揉めたこともあった。

「訴訟してもいいと思います。」と担任の先生に言われたけど、裁判になって長引くと、受験に支障が出るので、訴訟することはやめた。

後日、その私立高校の校長と教頭が自宅にやってきて、俺と母親に謝りにきた。

多分、訴訟されることを怖れての行動だったと思う。

ちょうどその時、担任の先生と中学の校長が俺の自宅にいたのだが、担任の方が、


「ドアを開けなくて良い。会う必要なんてない。」と俺と母親に向かって言ってのけた。

さらに中学の校長は、ドア越しの私立高校側の校長と教頭に向かって、

「また後日、中学の校長室にそっちから謝罪に来い。」と言った。

実際、後日になって、私立高校の校長と教頭が、中学にやってきて、謝りにきた。


何かあの時の二人の態度はかっこ良かったと、今でも覚えてる。

当時中学の校長は、生徒たちにアダ名をつけられて馬鹿にされていたけど、俺にとっての印象は違っていた。

「生徒の俺を守ろうとしてくれている。やっぱりこの人は、校長になっただけあるなー。」と子どもながらにそう感じていた。


他にも色々、ドタバタを経験した。

普通の学生よりも、考えなければならないことが多かったし、しんどいことも多くあったが、俺は頑張ったと思う。

誰も褒めてくれないから、有森裕子みたいに、自分で自分を褒めてやりたい。

おしまい。


己に勝った

どうも。

聞いてくれ。

この糞寒い中、見事歯科医院に行った。

そして、欠けていた前歯の治療に成功した。

髭を剃り、歯を磨き、風呂に入って新しい服に着替えるという超絶めんどくさいあの作業ゲーをこなしたのだ。

ミッションをクリアしたので、今はとても誇らしい気分だ。


自分で自分を褒めてやりたいし、今ならきっと片手で海をも割れるだろう。

「こんなに寒いので、僕も出勤したくなかったですよ。来てくれてありがとうございます。」


いつもの担当医はそう言っていた。

歯科医院に行きたくないと思っていたのは、俺だけではなかったようだ。

ちょっと安心した。

俺が事前に予約して、当日頑張って歯科医院へと向かった。

担当医が寒いのを堪え、頑張って歯科医院に出勤した。

そして二人は、歯科医院で見事邂逅を果たした。

奇跡だ。

奇跡ではないか。

奇跡以外、これを何と呼べるだろうか!(多分怠惰)


二人が頑張らなければ、この奇跡は生まれなかったのである。

感動ひとしおだ。



帰宅してから鏡で自分の前歯を見て、素直に嬉しくなった。

穴が無い!

欠けていた前歯が治っている!


行く前はダルいと思っていたけど、行って良かったと思う。


誰かが、

「風呂に入る前は超絶ダルいけど、入った後で入らなきゃ良かったと後悔する風呂はないので、頑張って入ってきます。」と言っていたことを思い出した。

自分で予約しておいて行きたくないとか、糞みたいなことをほざいていたが、今日は自分自身に勝ったのだ。


自分へのご褒美に、DAISOで「雪の宿」を購入した。

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これを食って、明日も頑張りたい。



おしまい。

「どんな曲が好きなんですか?」という魔の質問

どうも。



「どんな曲が好きなんですか?」と聞かれることがある。

この質問は怖い。

たった一曲、曲名を答えるだけで、その人との関係性に多大なる影響を及ぼすからだ。


答えた曲が、相手も好きなら問題ない。


逆がヤバい。


実は相手が内心、

「チッ!その曲俺嫌いなんだよなー。」とか思っていたりする場合だ。

ヤバい。怖い。人間不信になる。


「人間なんて所詮、裏腹な生き物だぞ。」という声がする。


そういえばタモリは、趣味や考えが相手と噛み合わなければ、それをとことん楽しむと言っていた。

あえて噛み合わないようにしていく時もあるという。


その考え方自体が面白いと思うが、

この質問に対して、どの曲を答えても博打の要素があって、これは命懸けである。


だから無難に、

最近の流行曲を答えるようにしているが、

本当はZARDの「あなたを感じていたい」とか「ぬくもりが欲しくて」とか「あなたを好きだけど」とか「愛がみえない」とか「気楽に行こう」とか筋肉少女帯の「踊るダメ人間」とかが好きだ。

本当のことは言えない。


言えないのだが、適当に流行曲を答えることも、相応のリスクがある。

その曲がそんなに好きでもないのに、ついそれを答えてしまって、

「へー井口君ってその曲が好きなんだー。」と相手に思われるのである。

「勝手にそう思ってろ。」と思うが、

なんかそれも癪だし、やはり適当に答えてもダメそうだ。


ならばここは素直に、「ZARD」の曲を答えるべきか。

ZARD「負けないで」や「マイフレンド」あたりを答えておけば良いのか。

そうなんだろう。



この2曲は世間では有名だろうし、

「良いですよね!」と反応される確率も、きっと高いだろうな。


だが困ったことに、この2曲は好きは好きなんだけど、熱烈に好きかと聞かれたら、それは嘘になる。


結局は流行曲を答えていた時と同じように、自分を騙すことになる。あーそれもダメだ。




困った。

どうすればいいのだろう。


ここまで考えていたら、

もう曲名自体も答えたくないと思ってしまった。


でもここでちゃんと曲名を答えなければ、


「井口君って音楽聴かないのかな?」とか相手に思われそうだ。

違う。

むしろ音楽は糞ほど聴くし、ひとりカラオケにもよく行く。

「あーーー!」

ひとり部屋の中で悶々としてきた。


これにておしまいにしたい。



おしまい。

自分で予約したくせに、行きたくないで候

どうも。


自分で予約したくせに、歯科医院に行きたくないで候。

自分で予約や約束をしたくせに、その前日や当日になって、急に行きたくないと思うことがある。

皆さんもそういう時があるだろうか。

俺なんてしょっちゅうある。


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虫歯を治療してもらえるというメリットがあるのだが、外は糞寒いというデメリットが存在する。

髭を剃り、歯を磨き、風呂に入る。


髪を乾かし、新しい服に着替え、歯科医院へと向かう。

この一連の作業を考えるだけで、超絶めんどくさい。

なんだこの作業ゲーは。

外が寒いことよりも、個人的にこれらの作業ゲーが、1番のデメリットなのかもしれない。

ダルい。



「誰がお外をこんなに寒くしたの?今日お出掛けするなんて、本当に馬鹿げているわ。」

大丈夫だ。俺もそう思う。


全ては虫歯を治療するため。

そう割りきって向かうしかないらしいが、超絶めんどくさい。

ダルい。

しんどい。

シャコが食べたい。




おしまい。

最近のお気に入りの言葉は、「雑魚ユーチューバー」です

どうも。

お気に入りの言葉はあるだろうか。


俺の場合、最近のお気に入りの言葉は、

「雑魚ユーチューバー」である。





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この言葉を最初Twitterで目にした時、思わず笑ってしまった。

チャンネル登録者数を必死になって増やそうとする、憐れな雑魚人間のもがく姿が、真っ先に脳内に浮かんだからである。


2018年の2月20日から、広告プログラムの参加基準が上がるらしいが、再生回数や登録者数の少ない雑魚には、是非とも頑張ってもらいたいものだ。

今後、淘汰の加速度も上がるだろうが、オリジナリティーに溢れた「良いもの」だけが残っていくと考えれば、素晴らしいことである。

「○○の全メニュー頼んでみた。」だとか「○○のトッピング全部乗せ。」だとか、一体何の役に立つのかよく分からん動画ばかりが溢れていたので、これらが淘汰されることも期待している。

メニューなんてネット検索すればいつでも閲覧出来るし、閲覧している方は腹が膨れなくて飯テロなだけだ。

その上頼んだものを食べ残してみろ。

ただただ、廃棄食品を出しただけだ。

食べ残すぐらいなら、貧困者に分けてやれと思う。

全メニューや全トッピングを頼めば、店側はお金が儲かるから良いかもしれんが、もっと面白い企画は無いものかと思ってしまう。

ユーチューバー自体を否定しているわけではない。

動画内で、上手く話しているユーチューバーには、素直に尊敬する。

また、企画を考えたり、編集作業を行ったりと、裏では大変な仕事であると思うが、こういうオリジナリティーのない企画が、世の中で跋扈していることが、不愉快だっただけだ。

今回、広告プログラムの参加基準を上げたのも、こういうオリジナリティーのない、つまらん動画をアップする、「雑魚ユーチューバー」どもを、一挙に淘汰してしまえという意味合いもあるのだろう。

今後に期待したい。

自殺と遺された人

どうも。

「自殺されると、遺された人は悲しい思いをする。」

これはあるブログで書かれていたものだが、きっと本当なのだろう。

自殺した当事者は直前まで、一体どんな想いを抱いていたのか。

それは分からない。

何かに苦しんでいたのかもしれないし、実は死ぬ直前、穏やかな気持ちになっていたかもしれない。

ただ言えることは、遺された人の喪失感や悲しみは、言葉に尽くしがたいものがあり、生きている限りそれはずっと続くということだ。

その昔、親戚のひとりが自殺したのだが、あれは何とも言い難いものがあった。

なぜ自ら命を絶ったのか。

明確には分からない。

分からないが、苦しんでいることは確かであった。

俺は自責の念にかられ、救えなかったという気持ちだけが残った。

また、自殺したことにショックを受けて、遺された側の人間が後追いしてしまうケースもある。

自殺は、それほどの影響力を及ぼす。


もし俺が自殺したら、悲しむ人なんているのだろうか。

ブログを読みながら、ふとそんな考えが、頭のなかをよぎった。

別に誰かに悲しんで欲しいというわけではない。

本当にそんな人が存在するのかどうか。

それが少し気になっただけだ。


母親は悲しむだろうか。


労力と時間とお金と愛情をかけて、せっかく大人になるまで育ててくれたのに、自殺してしまったなら、それが全て無駄になる。

本当に申し訳ないなと思うが、死ぬ時は死ぬ。

母親や遺された側の人間のことを想像することが出来るくせに、それでも自殺を選ぶのだから、よほどのことだ。


何かに耐えきれなくなった時、俺はきっと死を選ぶだろう。

おしまい。