いぐちゆうとの雑記ブログ

いぐちゆうとの雑記ブログです。

無理して書く必要はない

どうも。

「書きたいことがなければ書かなくて良い。本当に心の底から書きたいことではないのに、わざわざそれを作品にして、応募してくるな。」と評論した某作家がいる。

厳しい言葉だ。

が、全くその通りだと思う。

自分の頭の中で思いついたことが、はっきりとした形を持たず、ただ漠然と、何日もグルグルと渦を巻いている。

なかなか消えない。

心の中で沸き上がってきて、ずっと溜まっている想いや感情がある。

これもなかなか消えない。

そういった類いのものを文章という形にして、
外へと放出したい。

書きたい書きたい書きたいという欲望を抱き、もうどこかに書かなければ死んでしまう。

それぐらいの想いを抱いた時、そこにきてようやく、自分の好きなように、どうぞ勝手に書けば良いのである。



期限や締め切り日があり、書かないことによって他人に迷惑をかけたり、自分自身に何らかの不具合を生じさせてしまう恐れがあるならば、そこは無理をしてでも書く必要がある。

が、基本的に、一般人のブログの文章ならば、そこまで無理をして書く必要はない。

書きたいと思った時に書け。

本当に心の底から書きたいと望んだものを、素直に書けば良い。


特に書きたいこともないのに、自分に無理をしてまで書く必要はない。

本来、文章を書くことは、面白いことのはずだ。

どんなことをどんな風に書こうか。

その自由がある。

書くという行為自体に苦痛を感じてしまい、一切その行為が楽しめないというならば、その時は書くことを中断した方が良い。

何か別のこと、例えばゲームでもして、書きたいと思う時が来るまで、じっと待てば良い。


無理をして書く必要はないと言った。

だが、俺は知っている。


期限に追われながら、必死に無理をして書き上げたものの多くが、ふと後で読み返してみると、これ如何なる理由かな、なかなか良質な文章になっている場合も多いのである。



「あー今日は、書きたいことが何もない。本当に何もない。そもそも書く気にもならない。そんなことよりも、ロッテのチョコパイが美味しい。今日も素敵な青空が拡がっているな。」

そういう時もあるだろう。

たとえどれだけ書くことが好きでも、書く気にならない時だってあるのだ。
(もし1度もないならば素晴らしい。あなたは文章を書くことに関しての神様です)


自分の頭や心の中が空っぽで、本当に何も書きたいことが浮かばない時。



それでももがき苦しみながら、必死で書こうとする。



まるで残り少ない歯磨き粉のチューブの中身を、一生懸命に絞り出すかのように。


期限や締め切り日に追われながら、血眼になって文章を書く。

風呂や飯の時間も抜きにして、血反吐が出てしまうぐらい推敲を重ねる。

練りに練り、何回も修正を加える。

必死のパッチで書き上げた文章の方が、惰性に任せて書き上げた文章なんかよりも、キラリと光る時がある。


これは、「火事場のクソ力」とも言うべきか。

人は真に追い込まれると、時にもの凄い力を発揮するみたいである。


おしまい。

猛烈に書きたくなって書き、そしてしばらく途絶える これが俺のいつものパターンだ

どうも。


しばらくブログ更新が途絶えていたくせに、最近また急に書きたくなってきたので、こうして書いている。

まるで絵具や歯磨き粉のチューブの中身を絞り出すかのように、何か自分の中で溜まってきたものを、こうしてブログに吐き出している次第である。

愚痴や文句を書くこともあるだろうけど、基本的には、自分の中で沸き上がってきたくだらん考えを、ここに記録しておくという感じだ。

ブログは素晴らしい。

後でいつでも自分で読み返すことが出来るし、過去の自分が一体どんなアホなことを考えて生きていたのか、それを振り返ることが出来るからだ。

現在29歳であり、来年の10月で三十路になるが、俺はようやくここにきて、ひとつの偉大なる発見をしてしまった。

その発見とは何か。


本当は誰にも教えたくないのだが、今日は特別に教えてあげようと思う。




俺のブログ更新のパターンは、何日間かは継続して連投するのだが、またそれっきりしばらく更新が止まるのである。そしてまた何日間か継続して、立て続けに連投するのだが、またしばらく書かなくなるのである。



これが俺が発見したことだが、きっと驚かれたに違いない。

そりゃそうだ、驚くのは無理もない。

何せあまりにも発見したことのスケールがしょぼいし、このパターンを発見したのが、29歳なんだからな。

昔から俺のブログを読んでくれている人は、こんなことは、とっくの昔に知っていたかもしれない。

気付くのが遅すぎるだろ、このポンコツボランチ


じゃあなぜ俺は、連投してしばらく書かなくなるのか。

その答えは明白だ。

自分の中に溜まっていた考えを吐き出してしまったならば、スッキリ満足してしまうからである。

すぐに中身が尽きるなんて、とてつもなく底が浅いし、あまりにもストック量の無さに愕然とするし、もうこの野郎、恥ずかしい限りだが、これが真実のようである。




またこの更新パターンを踏襲するのだろう。

そんな予感に満ち溢れている。


そりゃ俺だって毎日ブログを継続して書いてみたい。


それが出来るならば理想的であるし、越したことはないが、それが出来ない人間なのである。

どうも毎日継続してブログを更新するということが、苦手を通り越して、もはや不可能らしいのだ。

何かひとつのことを、毎日継続することが出来ない人間なのかと問われるが、別にそういうわけでもないから、余計に話が面倒くさい。

なぜなら、クラッシュオブキングスや将棋は、毎日欠かさずに行っていて、習慣化出来ているからである。

自分の中に溜まった考えを外に向かって吐き出すことが出来たら、結構満足してしまう質で、それが継続出来ない理由かもしれない。



あと自分の中で継続出来ないことを、そんなに悩んでいないことも、少なからず影響しているのであろう。


毎日欠かさずにブログを更新している人は、本当に凄いなといえば凄いし、別に凄くないなといえば凄くない。


たまーに猛烈にブログを書きたくなって、ガンガンしばらくは連投するのだが、またどうせしばらく書かなくなるだろうよ。同じ脳ミソを持つ限りな。




さて、話は変わる。

たまーに猛烈に書きたくなるブログ。


じゃあそのブログは、俺にとって一体どんな意味を持つのであろうか。

これを突き詰めて考えてみたが、結局全ては、自分のためであるという答えに辿り着いた。

理由を4つ列挙しよう。

①暇潰しになるからである。


②自分の考えを整理したり、まとめたりすることが出来るからである。

③ここに記録しておけば、昔の自分の考えを、いつでも振り返ることが出来るからである。


④ブログを書くという行為自体が楽しく、そこに興奮を覚えるからである。
(俺にとっては、自慰みたいな役割を果たしている)



これら全ては、結局自分のために書いているといえるのである。


自分自身のために書いた文章が、いつぞやどこかの誰かにとって何らかの意味を持ったり、役に立ってしまったりするというならば、それはもの凄く嬉しいことであり、理想的であり、もはや奇跡と呼べるほどである。

文章を書くという話だけに留まらず、結局全ての人間の行動は、よくよく考えれば、自分のためなのだ。

それは別に悪いことではない。

自分のためにしたことが、他者のためにもなっていたら、もの凄くハッピーではないか。

他者のためだとばかりアピールする奴よりかは、自分のためであるとはっきり言い切る人の方が、個人的には好感を覚えるのであった。


おしまい。

餅5個、鶏肉の小間切れ、冷凍食品のホウレン草、えのき、豆腐、うどん。

これらの材料をDAISOで購入した器、

「レンジでラーメン丼要らず」に入れ、電子レンジで温める。

味付けは「本つゆ」のみ。

鶏肉のエキスが良い味を出しているし、えのきの風味も心地がよい。

美味くて手頃だから、手抜き料理を作りたい時なんかはオススメだ。

まあ、流石に毎日これを続けるわけにはいかないが、これと鮭茶漬けとを交互に食っていたら、余裕で1週間を過ごせた。




俺の場合、食に限らず、何事においてもそうなのだが、毎日少しでも変化を持たせないと飽きてしまう人間だから、はっきり言って面倒で質が悪い。


それを避けるためにも、意識的に交互に食らうようにしている。

作りおきしたカレーを毎日食っている某作家さんがいたけど、あれは流石に真似出来ない。





おしまい。

久々に更新

どうも。

久しぶりのブログ更新である。

急に書きたくなってきたので、こうして書いている。

このブログの更新履歴を振り返ってみると、なんと今年の2月で途絶えているではないか。

これは一体誰のせいなのだろうか。

紛れもなく、糞でポンコツな自分のせいなのは百も承知の助なのだが、ここは人間の心情とも言うべきか。

無性に、誰かのせいにしたくなる。

こういう時ってだいたいいつも決まって、政治家のせいにしたり、「馬鹿野郎!全て政治が悪い!」とか言ったりして、憂さ晴らしするのが通例なのかもしれないけど、俺のブログ更新が途絶えていたことと、世の中に存在する政治家が、一切何の関係もないことぐらいは、たとえ糞でポンコツな俺であったとしても、そこは分かる。ちゃんと分別はつく。


だからやっぱり、誰のせいでもなく、自分のせいなんだろうなとは思う。

そういうことにしておく。

この文章は、真夜中にロッテのチョコパイを食いながら書いているのだけど、そろそろ2017年度も終わりらしい。

どんな1年だったかと尋ねられたら、正直、SMAP解散と北の核ミサイル発射しか覚えていない。

しかしこれは、世間の出来事だ。

肝心の自分の話になると、

「俺、一体どんな1年を過ごしたのだろうか。正直そんなに覚えていない・・・。」と返答に困るばか
りである。

年初に、電子書籍三国志を出したことは覚えている。


最近においても、アプリのクラッシュオブキングスは毎日の日課になっているし、アプリのどうぶつの森のキャンパーレベルも、ようやく18に到達したところだ。

しかし、3月以降から10月ぐらいまでのことが思い出せない。

今年の記憶は、歯抜けの状態である。

多分きっと、大したことをしていないのだろう。

これからもきっと、大したことをしないという自負心もある。




さて、話は変わる。

俺は独り暮らしを始めて、来年の4月で3年目になる。

独り暮らしは恐ろしい。

恐ろしいほど気楽なのである。

好きな時間に好きなものを食える、好きな時間に風呂に入れる。

これだけでもかなりの満足感があるが、実家暮らしならばそうもいかない。

どうしてもある程度の制約は受けるし、自由度は減る。


誰かに命令されたりすることもなく、本当に毎日がお気楽生活なのだが、このお気楽さというぬるま湯を知ってしまったが故に、ある弊害が生じてきている。

そう、他人との共同生活を営むことだ。

誰かとシェアハウスしたり、誰かと同棲や結婚したり。

そういった類いの生活様式を、今から新たに取り入れることに対して、少なからず、抵抗を生みだすのだ。

もちろん、将来がどうなるのか分からないし、完全にその可能性を消し去ったわけではないが、このまま他人との共同生活はしないのかなとも思えてくる。

無論、独り暮らしをしていると、寂しいと思う時もあるにはある。

孤独感が増し、眠れない夜も、あるにはある。


しかし独り暮らしというものは、その寂しさと引き換えにして、気楽さを手に入れているのだ。


他人と共同生活を営むと、煩わしさだとかが生まれてくる思うが、それを回避出来ていることを思えば、どちらの生活様式を選択したとしても、一長一短だろうなと思う。

そう、物事の全ては、一長一短なのである。

しばらくは独り暮らしを満喫する予定ではあるが、予定は未定、世の中何が起きるかは分からない。

もしかしたら、こんなことをブログで書いていた奴が、急に結婚するとか言い出すなんてことは、よくあるパターンだ。

結婚に対しては、ポジティブでもなければ、ネガティブでもない。


積極的にしたいとは思わないし、実際にそれを叶える行動もしていない。

つまるところ今は、気楽さを優先しているのだ。


まぁ、今後の自分の人生は、何が起きるかは分からない。


自然の流れにこの身を委ね、生命尽き果てるまで、ゆるく生きようと思う。

おしまい。

俺の好きな女で、打線を組んでみた 2017年度版

どうも。

毎年密かに、自分の好きな女で、打線を組んでいるのだが、今年もこの季節がやって来たようである。

現時点での今年のスタメンが完成したので、ここにご披露したい。

いや、こんなことをしている間に、さっさと三国志の続きを書けやと言われそうだが(笑)



2017年のスタメン。

1(遊)本田翼

2(二)川口春奈

3(中)山本彩

4(三)新垣結衣

5(DH)小嶋陽菜

6(右)鈴木杏樹

7(左)ホラン千秋

8(捕)ZARD

9(一)熊切あさ美

これを考えるのに、2時間も費やした。

まさに無駄の極致であるが、

今年もなかなかの強力打線が出来上がった。



なぜこのメンバーになったのか、順番に解説していこう。

まずは1番の本田翼から。


2015年〜2017年の3年間とも1番というポジションに定着しており、もはや不動の1番バッターとなっている。

俺は、ショートヘアの女性に滅法弱い。

ショートが似合う女性は、「地そのものが可愛い」という持論がある。

演技力は「?」だが、バッサーは可愛い。


あの若さをもってして、打線に勢いをつけたい。


続いて2番には、川口春奈が見事打線入りを果たした。

初の快挙である。

一時期、「低視聴率女」というレッテルを貼られたこともあったが、俺はなんのその。

全然気にしていない。

ルックスはあるが、なぜか爆発的に売れない。

そんな風に言われてしまうこともあるが、好みのルックスなので、俺は全然気にしていない。

逆境を跳ね返し、今年は見事にスタメン入りした。

存分にその力を発揮してもらいたい。


続いて3番は、あご姉(さや姉)こと、山本彩である。

去年も三番だったが、日に日にその存在感は増してきている。

将来的には、4番を打たせるつもりであるが、今はあえてこの3番のポジションにしている。

出来る限り経験値を積ませ、ゆっくりと、確実に育てたい。


4番は今年も、平成の吉永小百合こと、ガッキーである。

もはや言葉は要らない。

まさに俺の中で、不動の4番である。


5番には、DHとして、小嶋陽菜を起用した。

俺のなかで彼女は、なんか常に楽しそうに生きているなという印象があり、見ているだけで、こちらも楽しい気分になってくる。

その天真爛漫さをもってして、この打線を、大いに盛り上げてもらいたい。


6番には、俺の中で常にスタメン入りを果たしている、ベテランの鈴木杏樹を起用した。

年齢的に考えても、彼女は劣化しないし、大変美しい。

そこらの10代や20代なんかに、余裕で勝っていると思う。



7番には、今回初登場である、ホラン千秋がスタメン入りを果たした。

よく喋り、キツいものの言い方をするので、世間では、強い女だとか、うるさい女だとか、そういう風に見られているようだが、俺は彼女の話す内容を聞いていると、そこに賢さが滲み出ていると思うし、俺は好きだ。

きっと会話したら楽しいと思う。

そして、料理教室に通う彼女の姿を見て、俺は確信した。

家庭的な女性だと。

その上、彼女を見ていると、一度叱られてみたいという、マゾ的な欲望が、なぜか知らんが、わきあがってくるのである。

普段はそんなことを、これぽっちも感じたこともないのに、俺をそんな気にさせるとは、これはもう、かなりの実力の持ち主ではないだろうか。

そう思ったので、今年はスタメンに入れてみた。


8番には、今は亡き、「ZARD」を捕手に据えている。

2007年に亡くなった時は、俺は大学生だった。

あの時は、大変ショックを受けた。

そのショックのあまり、講義も自主休講したぐらいだ。

訃報を聞いた時、俺はちょうど大学のPCルームに居て、レポートを作成していたのだが、気付いたらポロポロと、涙を流していた。

彼女の突然の死は、それはあまりにも悲しかった。

ひとつの大きな輝く星が消え、この世から、全ての希望が失われたとさえ思った。

亡くなってから、あれから今年でもう10年目になる。

彼女の死は、いまだに信じられん。


続いて9番には、熊切あさ美を入れてみた。

初登場である。

あるテレビ番組で、

「どこか行きたい所はある?」と聞かれ、

「あなたの行きたいところについていく。」と答えていた。


まるで、3歩下がって男の後ろを歩いていく、古き良き昭和の女である。

また彼女はこうも言っていた。

「家では、男の人を働かせたくないと思っている。だからこそ、好きな男に過度に尽くし過ぎて、家政婦を通り越して、もはや介護みたいになってしまう。」と。


このようなタイプの女性は、今の世の中においては、もはや絶滅危惧種のような存在だろう。

俺は直感的に悟った。

これは、保護せねばならぬと。


実はたいていの男は、こういうタイプの女を、心のどこかで、無意識に求めているところがある。


崖っぷちアイドルとして、その名を売っていた時もある彼女だが、最近は妙にエロいなと感じる。

なんかいい味出てきたなと思えるので、今年のスタメンに入れてみた。


以上が2017年度版の打線の解説であるが、いやはや今年も、強力な打線である。

これでリーグ優勝、ひいては、日本一を狙いたい。


おしまい。




ちなみに、2015年と2016年のスタメンがこちら↓


2015年のスタメン↓2016年のスタメン↓

1(遊)本田翼 1(遊)本田翼
2(二)高部あい 2(二)バルサ綾瀬はるか
3(中)鈴木杏樹 3(中)山本彩
4(三)YUI 4(三)新垣結衣
5(DH)小嶋陽菜 5(DH)鈴木杏樹
6(右)ZARD 6(右)ZARD
7(左)前田敦子 7(左)前田敦子
8(捕)石田ゆり子 8(捕)小嶋陽菜
9(一)大政絢 9(一)椎名林檎

三國志DS  どうしてこうなった  まさかの孫堅と袁術の天下争い

どうも。


世間に取り残されながらも、いまだにDS三国志をプレイしているのだが、上の画像を見て欲しい。

もはや、どうしてこうなった的な状態である。


まず、俺の領土だが、左下の肌色のマス部分である。

仮想モードの新君主としてプレイし始めたのだが、最初は1つで、周囲には紺色の劉璋が存在していた。


「まずはひたすら内政に力を入れて、劉璋と戦えるだけの力をつけるしかない。劉璋の勢力を倒したら、天府の国蜀から飛び出して、いよいよ天下統一に名乗りをあげるぞ!」と息巻き、ひたすらヒキコモリ内政生活を続けていたのだが、その間に、周囲の状況は、とてつもなくヤバいことになっていった。

まず、赤色のマス部分は、孫権の親父で、江東の虎こと、孫堅の領土である。

これは別にいい。

呉の勢力が拡大することは、戦力的に考えても、何ら不思議なことはないからだ。

しかし問題は、ピンクのマス部分だ。

この部分を領有しているのが、あのハチミツで有名な袁術なのである。

袁術は、曹操劉備袁紹などの強豪勢を滅ぼし、遂にその勢力をここまで拡大した。

夢だと思った。

にわかには信じられなかった。


俺が必死で内政に明け暮れている間に、どうやら天下は、孫堅袁術の二大勢力で、覇を競い合う世の中になっていたようである。

仮想モードとはいえ、曹操劉備袁紹が、まさか袁術によって滅ぼされてしまうとは、思いもしなかった。

袁術に、天下統一の可能性があることに、興奮と動揺を隠せない。(笑)

まさにこの世は、乱世である。

おしまい。



世界史の教科書だとかいう牙城

どうも。


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2017年1月16日。

俺が書いた電子書籍版の「三国志 第1巻」がAmazon無料ランキングで2位になった。

現在は5日間の無料期間を終えて、117円の有料となっている。

興味のある方はぜひ購入して頂き、117円というお金を、この私に恵んでやってもらいたい。
(有料になってからも、ポツポツと売れている)



無料ランキングとはいえ、順位にはとても嬉しかったのだが、注目してもらいたいのは、この画像の有料ランキングの1位が、世界史の教科書になって
いるということだ。

恐ろしい。

こうして眺めてみると、崩せない最強の牙城に見えてくる。


学校教育というものが存在する限り、学生や教員なんかが購入するし、また、歴史好きも購入する可能性もあるわけだから、需要が無くなることもなく、安定感はナンバーワンである。


「俺、何と言っても教科書よ。そこいらの奴等とは、格が違うのよ。格が。」

なんだかそういう風に、こいつに言われているような気がしてきたが、俺は三国志の続きを頑張って書きたい。

今日はこの辺でおしまい。



三国志