いぐちゆうとの雑記ブログ

いぐちゆうとの雑記ブログです。

ふわふわとしたまどろみの中で、安らかに死にたい

どうも。



食っていければそれでいいので、別にお金への執着心もそれほどない。


書籍が買えれば概ね満足できる人間なので、

1ヶ月の生活費なんて10万円もあれば事足りる。

ベースとなる生活費は、

家賃、光熱費、ネットなんかの通信費、食費ぐらいだ。(水道代は家賃と込みで支払っている)

まあ後は、日用品やカット代、衣類なんかのいわゆる雑費が時たまかかるぐらいか。



俺が三十路になるという記念で、

10月には家族とディズニーランド&ディズニーシーに行く予定だが、最近なんかあんまりしたいことが無くなってきた。

別に結婚する予定もないし、その予定がないから恋愛さえもしていない。

結婚しないなら、恋愛する意味もないやと思っている。

それをある知人に話してみたら、

「でも恋愛自体は楽しめばいいんじゃない?」という返事が返ってきた。


確かにな。

これでひとつ分かったことがある。

要するに、恋愛自体がめんどうなのだ。

彼女が出来たら時間と労力を割かねばならなくなるので、それは結構疲れる。

俺は他人のことを考えて行動しようとする人間だろうから、きっと色々考えて疲れるに決まっている。

だから独り暮らしを選択しているのだろう。

確かに、1人で暮らすことは寂しさもあるが、気楽さがある。


寂しがり屋のひとり好きなのかもしれない。

めんどうな人間だ。自分でもそう思う。


恋愛したり結婚したりすれば、今よりかは人生におけるイベント数が増えることは容易に想定出来る。

きっとめんどうなことも多いし、疲れることも多いだろう。

男と女の関係だ。

楽しいばかりなわけがない。

うーん、今はパワーと興味自体がないのかもしれんな。


現在も人生をだらだらと生きているが、


別に虚無感に包まれているわけでもないし、絶望感さえもない。


ただ早くお迎えが来ないかなと望んでいるところだが、もしその時がくれば、やはり安楽死がいい。

願わくは安らかに生きて安らかに死にたいし、いつそのお迎えが来ても別に構わないというのが正直なところだが、唯一のネックは母親の存在ぐらいか。

せっかくここまで育ててもらったという恩義があるし、もしかしたら子どもの自分が先に死んでしまうと、母親に悲しまれるかもしれない。(母親が悲しむかどうかは分からんがw)

子どもが先に死んでしまうことは、何よりの親不孝者とよく言われるけど、その通りかもしれないな。

なんてそんなことを考えているから、やはり自分が先に死んでしまうのは良くない気がする。

母親をちゃんと看取ってから死ぬのが自然なことであり、なんかそれが筋に思えてきた。

そうすると俺は、まだ生きなきゃならんのか。


うーん、俺のオカン、なんやかんやでまだ長生きしそうだからなw


おしまい。

ゲームアプリ 「サバイバルアイランド」その2

どうも。


ゲームアプリの「サバイバルアイランド」には特段目的がない。

なのでその目的を、自分で作りだしてしまおうということで、前回は島と島を繋ぐ道を作ると決めた。

しかし、そんなことを適当にほざいてしまったが故に、結果自分で自分を追い込む羽目になった。

木を伐採しまくって建築資材を大量生産するとか、一体なんなんだこれ。


しかも伐採している最中には、

「俺、何やってんだろ・・・。」みたいな感覚に陥る。

修行というか苦行というか。

「1度決めたことは最後までやり遂げなさい。」

これはとある教師が言っていたことだが、前回適当にこのブログで宣言した自分自身を呪いたい。






↑現在の進捗状況。前回よりかは進んだと思う。


向こうの島にいる動物の姿も確認出来るぐらいまで近づいてきた。



作業自体は順調に進んでいると思われたが、俺はあることに気付いてしまった。



そう、この道には側面に壁がないため、

誤って下に落ちれば、当然海に投げ出されてしまうのである。

(しかも俺はよく落ちる)



オボボ・・・。

早く水上に向かって顔を出さなければ、呼吸困難となり死んでしまう。



画面には肺のメーターが表示されていると思うが、これが黒色から水色になるとヤバい。











肺のメーターが黒色から完全に水色になると、

今度はプレイヤーのライフであるハートマークの赤色部分が徐々に減っていき、これが底を尽きると完全に死ぬ。




ゲームオーバー。お疲れちゃんとなる。



そういえば俺のマイボートはどうした。








こんなところでスヤスヤ寝てんじゃねぇーよ。

いや、置いてきたのは紛れもなく俺自身だ。

自業自得。





くそっ!

そうなれば後はもう、自力で泳いで元の場所に戻るか、それとも向こうの島まで行くしかなくなるのである。

おい、泳いで帰るとか糞めんどいぞw

その上、夜の海にでも落下したら、本当にヤバい。

寒さで体温が一気に下がり、これも死ぬ原因となる。


夜の海は怖い。



落下防止用の側面の壁を作らずに、出来るだけ木を伐採するという労力を削減しようと目論んでいたのだが、やはり側面の壁を作る必要があるのか・・・。

特によく操作ミスをして落下する俺には、必須アイテムなのかもしれない。

しかしこれ以上、作業量を増やしたくはない。

なんせ超絶めんどいから・・・。


それが心情というものだろう。



極力労力を削減し、低コスパの道を作ってやろうと画策していたのに、もうこれである。

人生というものは、本当に想定通りにいかない。

だからこそ面白いとも言える。


続く。



ゲームアプリ 「サバイバルアイランド」その1

どうも。

今日はゲームアプリの「サバイバルアイランド」について書く。

このゲームには何の目的もない。

全てプレイヤーには自由がある。

ひたすら動物を狩るのも良し。

ひたすら釣りを行うのも良し。

ひたすら家を建築するのも良し。

ひたすら何もせず、ただ島中を駆け回るのも良しなのである。(本当に何もせずいると、空腹や喉の渇きでいずれ死ぬw)



このゲームには予め決められた目的がないために、どんな風に過ごしても良いという自由さがある。

それはリアルの人生と同じであり、プレイヤーそれぞれの特色が出てくることであろう。


まあ、己の創造力次第で、如何様にも変化させることが出来るし、色んな楽しみ方があるということだ。



俺は現在、島と島を繋ぐ道を作るため、


ただひたすらに木を伐採して、建築資材を生産しているだけである。


なぜ道を作ろうと思ったのか。

それは船を漕いで島に行くのが面倒になってきたからである。




↑マイボート





あの島まで道を繋ぎたいという衝動に駆られた。

↑現在はこれだけ完成している。










1本の木を伐採するために約15秒〜20秒ぐらいかかる。

島と島を繋ぐ道を作る手順として、

まずは伐採した木材を厚板にしなければならない。




木の厚板を1枚生産するのに5秒かかる。




そしてその厚板を用いて、今度は床板と土台を生産する。





木の床板を1枚生産するのに15秒かかる。





木の土台を1つ生産するのに15秒かかる。







木材を伐採してから厚板を生産し、

その厚板を用いて床板と土台を生産する。


側面の壁を作らなければ、作業はこれだけで良い。




島と島を繋ぐという人生の目的が出来てしまったわけだが、これだけの時間を浪費して得られるものはきっと、

島と島を繋ぐことが出来たというそれなりの達成感と、スマホを操作する時に使用した指や腕の筋肉を多少は鍛えることが出来るという2点であろう。


「道をつないだところで、それが一体何になるのか?」


そう思った方もいることだろう。

安心しろ。

はっきり言ってこの事に、特に意味はない。

人間、意味なんて考えずに、やりたいことをすれば良いのだ。


島と島を繋ぎたいというこの衝動は、もう誰にも止められない。

木を伐採して建築資材を生産するという地味な作業は、かなりの時間と労力を要する。


もはやこれは、何かの修行ではないだろうか。

そう思う。



これは己自身との闘いでもある。






意味を考えてはならないと他人に偉そうに言っておきながら、意味を考えてしまう自分がいることも確かだ。

ゲームをプレイしている最中に、ふと我に返る時がある。

「どうして俺はこんなことをしているのだろうか。ただ数字を上昇させるために、時間を浪費してしまった。もっと生産的なことをした方がいいのかな・・・。」という思いがよぎってくる時もあるにはある。




しかし俺は気付いた。


虚無感に包まれたまま全てのことに意味を考えてしまえば、はっきり言って人間、何事も出来なくなってしまうだろうと。
(ゲームをプレイすることもそう)

そして、生産的なことをしなければならないという思いに囚われているのは、もしかしたらこの資本主義社会に知らぬ間に毒されたからではないのだろうかと。

ゲームはそこからの解放を訴える。



もう一度新たな自分を築くため、

俺は島と島を繋ぐ道を作るのである。




もっと大きく言ってしまえば、

人生そのものが最初から最後まで無意味でやるせないものだから、はっきり言って何の問題もない。


人間何をしていても、どうせ最後は死ぬ。

それならば一層のこと、自分がとりあえず興味のあることをしていた方がいい。


ということで、島と島を繋ぐ道を作ることに興味がわいてきたので、これにとりかかりたい。



続く。



(追伸)


かなりの時間を浪費します。ポイントサイトでポイントを貯めていた方が遥かにマシw

(生産性を考えてしまうという「毒」から抜け出せない自分がいるw)



暇潰しの方法 3選

どうも。

唐突だが、暇潰しの方法を3つだけ挙げていこう。

参考になれば幸いだ。





☆暇潰しの方法その1

◯ゲームアプリをインストールしまくって、片っ端からプレイしてみる。
(飽きたらアンインストールすれば良い)



これだけでも半永久的に時間を潰すことが出来る。



俺も色んなゲームアプリをインストールしているが、しかしどれもこれも、途中で飽きてしまう。

インストールとアンインストールを繰り返し、時の中をさ迷う。


しかしそんな中でも結構続いているのが、


ビッグファーム、sold out 2、新三國志の3つだ。


ビッグファームは農産物をただひたすらに生産する。

soldout2は、商品を売買したり、商品を生産したりする。

どちらも何の目的もないゲームだ。

だがそこがいい。


ただただ農産物を生産するだけのビッグファーム。


ただただ商品を売買して資産を増やしていくだけのsold out2。

半永久的にだらだらと、同じことが繰り返されていくだけ。

この有り体は、まるで人間の人生そのものだ。

食べて飲んでトイレに行って寝る。

食べて飲んでトイレに行って寝る。

これを繰り返しながら人はいつか死ぬが、

まさかゲームアプリから、人生の儚さを感じることが出来ようとは、夢にも思わなかった。

感慨深い。




そして最後の新三國志だが、このゲームの目的は、名目上は大陸の天下統一を謳っている。

が、このゲームを長らくプレイしていると、あることに気付いてしまう。

そう、これもまた、ただただ資源をひたすら集めるだけのゲームなのだ。

城内の生産拠点のレベルを上げるためには、予め決められた数量の資源が必要となり、これを死に物狂いで、必死に集めなければならない。

資源をかき集めるという行為自体が、いつしかこのゲームの目的へとすりかわり、

「あれ?このゲームの目的って何だっけ?大陸の天下統一?いやそんなことよりも、資源をかき集めなければ・・・。」という状態に陥っていくのである。

途中で目的自体がコロコロ変わることを良しとしない人もいると思うが、何にせよ、資源を集めるマシーンになれることは確実であり、長く暇潰しが出来ることは保証する。


心はウキウキ、オモチャのチャチャチャである。




☆暇潰しの方法その2

◯水をわざと大量に飲んで尿意を感じ、そしてトイレに行って放尿する。



何もすることが無くてとてつもなく暇な時は、わざと大量に水を飲めば良い。

そうすればきっと、いくらかの時間が経過すれば、尿意を感じることであろう。

そうとなればもうこっちのものだ。

次はトイレに行って放尿するしかなくなる。

しかもこの暇潰しも、水とトイレさえ用意出来れば、後は何度でも繰り返すことが出来るのである。

人間たったのこれだけで、暇を潰すことが出来てしまうのかと驚きを隠せないが、最初にそういう設計にしてくれた良心的な神様には、ただただ感謝しかない。


またこの暇潰しは、

得たものは捨てなければならないという世の中の真理を知ることにも繋がるし、自分の尿意を感じとることで、ああ生きているんだなと実感することも出来る。


唯一のネックとしては、

水道代やトイレッペーパー代がかかってしまうことだが、

「俺はまた水道代やトイレットペーパー代を稼がねばならない。」という展開に繋がり、

今度は「金を稼ぐ」という次の暇潰しが行えるのだから、案外安いものである。

暇潰しの方法としては、なかなかのオススメではないだろうか。




ここで注意してもらいたいのは、

大量に水を飲めば尿意だけでなく、便意を催すかもしれないので、ここではトイレットペーパー代も想定している。

ちなみにこれをコンビニのトイレで行えば、水道代が浮く。



☆暇潰しの方法その3

◯俺のこのブログを読む

駄文のオンパレードである俺のブログだが、

多少の暇潰しにはなるだろう。





本日はこれでおしまい。

ポンコツ

どうも。


三十路直前になって、

「死にたい」という気持ちは、だいぶ遠退いた。

今はそれよりも、「人生って暇だな・・・。」という想いの方が強い。

暇だから仕事したり、動画を閲覧したり、アプリゲームを行ったり、読書したり、将棋の勉強をしたり、ポイントサイトでポイントを貯めたり、カフェオレを飲んだり、散歩や旅行に出かけたり、友達と遊んだり、ひとりでカラオケに行ったり、家庭菜園してみたり、オカヤドカリなんかのペットを飼育してみたり、デリヘルやソープに行ったり、家で料理や掃除をしたり、ブログを更新したり、Twitterで意味もなくつぶやいたりして、あの手この手で暇つぶしを試みているのだけど、なんか最近は、何をしても途中で飽きてしまう。


もうどうすればいいのか分からなくなってきたので、知人に相談してみたら、


「暇なら結婚したり子育てすれば?暇じゃなくなるよ。」という返事が返ってきた。

確かに、結婚したり子どもが出来れば、「革命」が起きてしまうのは予想がつくけど、自分の暇つぶしのために結婚したり子どもを作ったりするのはどうも気が引ける。


いやそもそも、俺に結婚願望自体がない。

この自由な時間で満ち足りている「独身ライフ」を、自らの手で壊すつもりもない。


「暇だから結婚した。」と、さまぁ~ずの三村マサカズが昔何かのテレビ番組で言ってたけど、確かに暇つぶしにはもってこいだとは思う。

暇つぶしどころか、自分の自由な時間が減少してしまい、多忙な生活になりそうなので、それは御免だ。


結婚以外の方法で暇つぶしを行うしかない。

この年齢ともなると、ある程度のことは経験してきているので、暇をつぶす方法を見つけることが難しくもなるし、新たな方法を見つけたところで、どうせまた飽き性なので、途中で飽きてくるのだろうw


とことん自分が「ポンコツ」だなと思うが、

今日もカフェオレを飲みながら、こうしてブログを書いて暇つぶしを行っているのであった。



まだ29歳の分際でこれだから、先が思いやられる。

80年以上生きている独身者は、単純に凄いなと思う。


結婚イベントや子育てイベントもせずに、一体何をして毎日を過ごしているのだろうか。



結婚や子育て以外の方法で暇つぶしを行っているのだから、きっと創造力に長けているか、それとも何も考えていないかのどちらかなんだろうw






(追伸)


「被災地に行って、ボランティアでもすれば?」という声もあるだろうけど、車椅子常用で被災地に赴くのが困難で、きっと足手まといになるだろうから、その代わりに寄付を行ったりさせて頂いております。




おしまい。

三十路までのカウントダウン

どうも。

俺の誕生日は10月4日だ。

残すところ1カ月を切ってしまった。

その日を迎えれば、遂に三十路となる。


ここまでを振り返ってみるに、長かったのか短かったのか、正直よく分からない。


長かったという気もしてくるし、短かったという気もしてくる。



男の人生は、途中病気や事故なんかが無ければ、だいたい80歳くらいまで生きるみたいだが、三十路から先のおよそ2.5倍だと考えるなら、案外長い気もしてくる。

長いか短いかは、人それぞれによって感じ方は異なると思うけど、ここからまだ2.5倍も生きてしまうとなれば、わりとお腹いっぱいな感じもする。

正直俺は、いつ死んでもいいと考えているが、あとどのくらい生きるのだろうか。

自殺を考えていた時期もあったけど、今はだいぶそれが薄れている。

どうせ人間、皆最後は死ぬし、それが遅いか早いかの差だけだ。



だったらそれならば、死ぬまでの間、人生というものを楽しめるだけとことん楽しんでやろうと考えた。



また、周囲の人々には感謝の心をもって接し、社会に対して、少しでも役に立てるように生きていこうと考え方を改めた。


そこから「希死念慮」なるものが、だいぶ薄まった気がする。


社会のためや周囲の人々のために生きていくことが、結果的には自分自身を豊かにし、円滑に生きていける。


個人的にはそう思っているが、ある意味ちょっとこれは、純粋な奉仕精神というものではなくて、打算的で偽善なのかもしれないw

「偽善であってもそれは善のうちだ」と言ってた人がいた。

それを信じて、社会や人のために生きていこうと思う。











おしまい。

家族と一緒に過ごせる時間は、あとどのくらいなんだろうか

どうも。


久々の日記である。


文章の書き方を忘れてしまった感があるが、書いていきたい。




妹は居なかったが、今日は久々に、

弟・母・祖母・俺の4人で、外食しに行った。


とても楽しく有意義な時間を過ごせたが、

こうして一緒に過ごせるのは、あとどのくらいなんだろうかと考え始めると、ちょっと切ない気持ちになった。


俺が年を重ねたせいもあるのか、最近そういうことを強く思う。


だからこそ、出来る限り家族と会う回数を増やす。

そう思っている。



いつ何時、お互いの身に、何が起こるか分からんからな。人生は。




一緒に過ごせることに感謝。

何気ない日常生活を営めることに感謝。

ブログを読んでくれる方に感謝。




おしまい。