井口佑斗のブログ

井口佑斗のブログです。

久しぶりに更新

母方の祖母が施設に入ることになった。

85歳。

まあ、入所してもおかしくない年齢だわな。

でもなんか寂しい。


俺は三十路のオッサンになってるけど、

わりと今でも祖母の家に遊びに行くことが多い。

だから余計にそう感じるのだろう。

寂しいから、定期的に会いに行こう。




人間はいつか死ぬ。

それが分かっているから、出来るだけ会っておこう。



祖母には長生きして欲しい。


おしまい。

人生って暇だ

「はっきり言って、身体障害者なんて生き地獄だよ」

↑これは2018年1月23日に書いた記事のタイトルだ。

記事の内容はネガティブだが、

現在も俺のブログ内でアクセス1位を獲得している。



これを読み返してみると、当時の俺の心境が分かる。

酷く落ち込み、己の境遇に苦しんでいる。


自分がなぜ身体障害者として生きる運命にあるのか。

それをいくら考えてみてもどうしようもないのは知っているが、

文章にして外へと吐き出さねば、当時の俺はやってられなかったのだろう。


今でも時折やるせなさは頭をかすめるが、


記事を書いてから1年以上も経過しているせいか、


現在の俺の心境とは少し異なる。


なんというかその、 空虚なのだ。

色がない。

今は楽観的でもなく、悲観的でもない。


別に自殺したいとは思わないけど、生きることへの執着心もそれほどない。


なぜ己が身体障害者なのかを考えても仕方ないし、もちろん誰のせいでもないが、

ただひとつ思うことは、

人生って本当に死ぬまでの暇潰しだなということだ。



ゲームをしていても、YouTubeを閲覧していても、本を読んでいても、筋トレしていても、ここで記事を書いていても、もう何をしていても、

暇だなと感じるが、

死ぬまでの間、適当に暇潰しして過ごそうと思う。

ありとあらゆる暇潰しを頭で考えながら。

おしまい。

Amazonのほしいものリストの完全消化を目指す

暇だ。

トーラムオンラインの素材ポイントが増えたり減ったりするのを見て、

「この数字の増減に何の意味があるねん!」と思わずツッコミを入れてしまっていた。

これを弟に聞いてみたら、

「ようやくあなたも真理に辿り着きましたね!そこからが本番です!」と言われた(笑)

こんなことを言い出したら、どのゲームも無意味になるけど、

「人生は無意味を楽しんでこそなんぼ!」という考え方もある。

まあ、トーラムオンラインは嫌いじゃないし、トーラムのせいでもないけどな。


とりあえず暇なので、

Amazonのほしいものリストに保存している本をどんどん購入して、片っ端から読んでいこうと思う。

リストの完全消化を目指していこうと思うが、

消化している途中でまた読みたい本がわんさか出てくると思うので、これはきっと終わりが見えないだろう。

素晴らしい。

暇人のための暇潰しである。





おしまい。

心斎橋でパンケーキ

4月17日(水)のこと。

出会い系アプリのタッ○ルで出会った22歳の女性と、

心斎橋のエッグスンシングスでパンケーキを食べる約束をした。


どうしようか。

行けないことはないのだが、車椅子常用なので往復がめんどいのである。

地下鉄の御堂筋線とか超ダルい。

新たな出会いなのでワクワク感もあるが、デートまでの準備と往復の移動が本当にダルい。


なら最初からデートの約束なんてするなと言われそうだが(笑)

おでかけしたい女性に、ノリで適当にメッセージを送信していたら、

「一緒にパンケーキ行きましょう!LINEのID教えて下さい!」と言われてしまった。


最近本当に暇だから、ノリで適当に、

「ぜひ行きましょう!」と返事してしまった。


約束しておいてドタキャンするのも申し訳ないしな。

三十路のオッサンとしては、出来る限りドタキャンはしたくないという思いがある。

「おりゃー!」とLINEをブロックして、

「デートバックレー」になるのも1つの手だが、

もし相手側がきちんと待ち合わせ場所に来ていたらそれはヤバいしな。


普通にデリヘルやソープでセックスするのも良いのだけど、時折それに虚しさを感じてしまい、

いわゆる一般の女性と普通にデートを楽しみたいなと思ってしまったことが全ての始まりだったのだ。

迷う。

本当に迷う。

そして4月18日(木)の夕方に、LINEでドタキャンの連絡をした。

すまん。

なんか気持ちがしんどくなってしまったのだ。


こんな俺と一緒にお茶がしたいと言ってくれたのに。


申し訳ない。




おしまい。

時たまカラオケに行きたくなる

時たまだが、カラオケに行きたくなる。



誰かと行くのも好きだし、1人で行くのも好きだ。

誰かと行けば、

「へーこんな曲もあるのか!」と自分の視野が広がるのが利点だし、1人で行けば、遠慮なくZARDメドレーを歌うことが出来る。

それぞれの良さがある。

この文章を書いている最中に、またカラオケに行きたくなってきた。

1人でカラオケに行く時は、だいたい夜中に自宅を出発して、早朝までを過ごすことが多い。

その時間帯なら、客が少ないのが利点だ。



そういえばこの前、

仮面ライダーブラックRXのOP曲を気持ちよく1人で唄っていたら、隣の人も同じ歌を唄ってきたことがあった時は驚いた。

宮内さんの声が渋くてカッコ良く、とても好きなんだが、

あれは絶対俺に合わせてきたのだろう(笑)

それから唐揚げと枝豆とポテトのおつまみセットを注文して、リアルゴールドと一緒に飲み食いしながら、

しばらく1人で黙々とZARDメドレーを唄っていたら、今度は隣の人がZARDの「息もできない」を唄っているのが聞こえてきた。


これは俺に合わせてきていると確信したので、

そこからは「あなたを好きだけど」、「Don't you see!」、「あなたを感じていたい」、「心を開いて」を唄ってあげた(笑)


どうでもいい話を書いてしまった。


また近々カラオケに行きたい。


(追伸)

ちなみにその隣の人は35歳のオッサンで、最後は一緒に仮面ライダーブラックRXのOP曲を唄った(笑)

確かあれは夜中3時頃だった。


おしまい。

出来る限りたくさん書いて死ぬ

暇だ。

何もすることがない。

暇だからトーラムで遊んだり、ポイントサイトでポイントを貯めたりしている。

毎日やってるのでどちらも飽きたが、ポイントサイトはお金に変換することが出来るので、まだ多少は生産性がある。

問題はトーラムの方だ。

こいつには生産性がない。

生産性はないのだが、暇潰しにはなる。

だからまだ少しは役立つので、アンインストールはしていない。

レベリングしたり素材ポイントを集めたりするのだが、本当に何の意味もない。

言ってしまえば、ゲームそのもの自体がそうだ(笑)

(人生において、生産性ばかりを追い求めるのもどうかなと思う時もある)



今日は文章が書きたくなった。

生きていると、時々文章を書きたくなる。

せっかくこの世に生まれてきたのだから、大量の文章を書いて死にたい。


飲み食いしてトイレに行く。

飲み食いしてトイレに行く。

時たま文章を書く。

それを繰り返している内に、いつの間にか死ぬ。

最高じゃないか。

アホらしくて。

出来る限りたくさん文章を生産して、そして最後は眠るように死んでいきたい。



おしまい。



(追伸)

スイスで安楽死したい。


トーラムオンラインと人間の人生

「トーラムオンライン」をプレイしていると、人生を感じる。

このゲームは、基本的に自由だ。

ゲーム内の通貨である「スピナ」を稼ぎまくっても良いし、 ひたすらレベリングしても良い。

自分の武器や防具を精練して強化しまくるのも良いし、薬品や木材など、ひたすら素材ポイントを集めるのも良い。



何をしても良いし、何をしなくても良い。

それは各プレイヤーの自由である。

好きなようにしろとか、まるで人生ではないか。


このゲームの謳い文句には、

「自由を謳歌できる」とあるようだが、

とにかく自由を満喫出来るのがこのゲームの売りである。

が、しばらくプレイしていると、段々と飽きてくる。




人生だって同じだ。

ずっと生きていると、徐々に飽きてくる。
(もちろん飽きない人もいる)



人生もトーラムも、この飽きと戦うために、


自分で目標を設定したり、やることを見つけねばならない。


面倒だ。

面倒だが、それを楽しいと感じる人もいるだろう。



「人生は死ぬまでの暇潰し」という言葉があるが、これはまさにそうだなと感じる。


本来、地球上の人間は、別に何もしなくても良い。
(どうせ最後は死ぬから)


だがそれでは死ぬまでの間、あまりにも退屈で面白くないので、

退屈凌ぎに勝手に目標を設定し、

退屈凌ぎに勝手に目標を達成し、

そして退屈凌ぎに勝手に達成感や充実感に浸るのである。

人間なんてそんなもんだ。


目標を設定すると柔軟に対応出来ず、自分で自分の人生の枠を狭めているのではないか。


自分自身で作り出した目標や定義にがんじがらめとなり、いつの間にか身動き出来ずに苦しむのではないか。


もちろんそういう意見もあると思うし、俺にもそういう感覚もある。


しかし目標を設定するメリットもあるらしい。

人生に少しだけの「ハリ」を持たせ、死ぬまでの退屈凌ぎが可能となるのだ。



だが人生における目標の設定は、各人の好きにすれば良い。

「ハリ」を持たせて生きても良いし、ダラダラと毎日生きても良いのだ。

もうとっくに好きなようにしてると思うが、人生の素晴らしさは、こういう「自由さ」なのかもしれない。


しかし人間面白いもので、

自由だからこそ何をしていいのか迷い、自由なことに苦しむという人もいる。(人間は自由の刑に処されている)

時に自由を求めたり、時に自由に苦しんだり。

人間という生き物は、本当に忙しない生き物だ。


だが、不自由よりかは自由な方が良い。



そりゃそうなんだけど、

問題は襲ってくる「飽き」との戦いだ。

飽きてくる人生をいかに飽きないように工夫するか、自分自身を騙すか、

人間そんなクリエイティブさが必要となる。


こうすれば飽きがこないのではないか、こういうやり方ならばもっと楽しめるのではないか。


ひたすら頭を使い、ひたすら工夫する。

それが人生の醍醐味なのかもしれない。



トーラムオンラインの場合、

今日は木材ポイントを5万ポイント集めようとか、明日は100万スピナを稼ごうとか、自分で勝手に目標を設定して、毎日マンネリと戦っている。

まあ、人生も似たようなものだ。

トーラムよりかは出来ることの選択肢が多いが、

今日は腕立て伏せを1000回しようとか、今日はデリヘル嬢を10人抱こうとか、勝手に適当に目標を設定して、飽きと戦えば良い。

もちろん何の目標も設定しないで、のんびりダラダラと何もしなくても良い。

別にそこに罪悪感を感じる必要性はないし、他人がそこを責める権利もない。


人間の人生は、トーラムよりかは選択肢が多いし、人間には創意工夫する頭があるのだから、

例えこの世でどれだけ生きてみても、未経験はきっと消せないはずだ。

それなのに、「人生に飽きた。」と言ってるのは、

毎日決まりきった「ルーティン」や「習慣」にどっぷりと浸かっているからだろう。

(ホメオスタシスが働くから仕方ない面もある)



飽きてるけどそのままで良いのなら別に何の問題もないが、

飽きているのにこのままではダメだと悩んでいる人の場合、それはちょっと苦しいだろうな。



今まで自分が構築してきた「習慣」や「ルーティン」ってなかなか壊せないだろうし。

(もちろん必要なルーティンもあるので、全てを壊す必要はない)


もし少しでも変化させたいなら、

まずは1日の自分の行動を全て文章化して、客観視してみることだ。

これをしばらく続けてみる。

自分の行動の文章化を続けていると、

「あー毎日同じことをして生きているんだな。」と浮き彫りになってくると思う。

何事もまずは、客観視と現状把握からだ。


俺の場合、毎日1つ以上は初めてのことをするようにしていて、それを日記につけている。(記録しておいて時たま読み返す。また、被らないようにするため)

人生における飽きとの戦いは、結構自分の頭を使うので、

これこそがなかなか良い暇潰しではないか。











(追伸)

ゲームをしていて人生を感じるとか(笑)

おしまい。