井口佑斗のブログ

井口佑斗のブログです。

動画閲覧ばかり

どうも。

ネットの環境を、ソフトバンク光からUQのBroadWiMAXギガ放題プランに切り替えた。


月間のデータ容量が無制限で、価格もソフトバンク光に比べて安い。

俺は結構動画閲覧ばかりするので、これは結果的に切り替えて良かったと思う。

YouTube、ニコニコ、AbemaTVあたりをよく閲覧するが、中でも好きなのがゲーム実況と将棋関連の動画だ。



特に最近は、るな坊さんや真のマハポーシャランドさんの動画ばかりを閲覧している。

るな坊さんの動画は、可愛い声をしているので、耳がとても癒される。


だけど時たま、口が悪いところとか結構好きだ。



マハポーシャさんの動画は、話自体が面白いと感じる。

ドラクエ10で金策に失敗するところとか、借入金でパチンコするところとか面白い。

多分全般的にネタで、わざと不幸な人を演じたりして、キャラを設定しているのだと思うけど、それでもあれは笑ってしまう。


幸せな姿を見せられるなんかよりも、不幸な姿を見せられる方が、人は食いつきやすいのだろうな。


「他人の不幸は蜜の味」って言うぐらいだし。

かくいう俺も、他人の不幸な姿を見るのはわりと好きだ。


なんか見ていて心が浄化される。


自分よりもクズな奴がいると思うと、安心感を得ることができる人種。

きっとそんな奴らに、あの動画はウケているのだろう。(こんな風に思う俺もクズ)

それを上手く活用して再生数を伸ばしているところとかを見ると、やり方が上手だなと感心する。



話は変わるが、最近はあんまり体調がよろしくない。

昼間と夜間の温度差や雨の日が多い天気、

なんかこれらに最近、やる気や気力を奪われている感じがして、よろしくない。


かろうじてポイントサイトのアンケートには答えられるが、デリヘルも最近は頼んでいない。
(ちょっとデリヘルにも飽きてきた)



特に何のオチもなく、心底どうでもいいと思うけど、まあ、こんな感じで今日は締めたい。




(追伸)

ローカル路線バスの旅もよく見る。

ルイルイの太川さんと漫画家の蛭子さん。

あのコンビで復活して欲しい。




おしまい。

末っ子ちゃんは兄貴や姉貴の影響を受けるので、自然に物知りになっていくと思う

どうも。


末っ子はズルい。っていうか羨ましい。


兄や姉が今まで経験してきたことや知識を、 幼い頃から見たり聞かされたりするため、自然と人生の経験値が多くなっていき、物知りになる。

なんか「人生のショートカット」が出来てしまうのだ。


俺が小学生の頃、物凄い物知りの同級生がいた。

なぜそんなコアな知識や古いことを知っているのだろうかとずっと疑問に思っていたが、聞けばなるほど、年の離れた兄がいるというのである。

その時は道理でなと納得したが、あれは本当に羨ましいと感じたし、そしてある意味反則だなと思ってしまった。



俺は3人兄弟の長男で、1番下には年齢が7歳離れた弟がいるけど、やっぱりどこか知識量が多いなと感じる。

明らかに弟の世代ではないアニメや特撮シリーズものを知っていたり、また、進路情報に詳しかったりする。

(弟は幼い時からビデオで、セーラームーンとかダイレンジャーとかカクレンジャーとか見せられているw)




特に進路の情報なんてものは、1番最初の兄貴や姉貴にとっては、自ら必死で獲得していくわけだから、それを普段の会話のなかですぐに知ることが出来るというのは、


ある意味「人生の時短」であり、「人生のショートカット」を行っているともとれる。

羨ましい。




たまに、

「こっちは今までの人生のなかで必死に獲得してきたものを教えてあげたんだから、ちょっとはお金を払ってよ!1つの知識や情報ごとに100円!」とか思ってしまう時もあるw

(まあ、兄弟だからお金は取らないけど)


まあ、末っ子には末っ子の苦しみや悩みはあると思うけど、以上末っ子が羨ましいなと思う瞬間であった。



(追伸)

妹にもそうだが、特に末っ子の弟にはヤバい。


いまだに甘くなる。


会うたびに、なんか購入してやろうかなとか思ってしまうのであったw




おしまい。

人生は飽きとの闘いだ

どうも。


人生は「飽き」との闘いだ。

年々そう感じる。

アラサーの今でもこう感じるくらいだから、これがもっと年齢を重ねていけば、この想いは、益々強くなっていくのではないだろうか。

ヤバい。怖い。


自分から意識的に目新しいことをしていかないと、俺の場合はヤバい。

気付いたら似たようなことをして過ごしている。


カフェオレを飲みながら読書。


カフェオレを飲みながら音楽鑑賞。


カフェオレを飲みながら動画閲覧。


将棋の勉強をしたり、筋トレしたり。


多分このルーティーンの中で生きていける。


でもずっとこのルーティーンだけをしていると、飽きてくる。





まあ、毎日似たようなことをして過ごすことも、それはそれで一興だけど、どうせ人生の最終的なゴールは死ぬことであると決まっているなら、極力沢山の経験をしてから死にたいなと思う。

沢山の経験を積んだところでどうなるねんという想いはあるけどw

人生は死ぬまでの暇潰しで、その毎日が飽きとの闘いだと感じている俺だから、毎日意識的に異なることをしていこうと、実際に実践しているけど、有限的な人生だから、地球上の全ての経験を積むことは不可能だろう。

(人によっては、スカイダイビングを経験せずに死んだとか、大きな建物を建築せずに死んだとか、未経験の事柄が異なり、差異が生じる)

結果、有限的な人生の時間を有意義に消費しようと考え、自分が楽しいと感じることばかりして、ある程度自分の毎日の行動が固定化されてしまう。


たまには全く興味のないことをしてみるのも良いのかもしれない。

何か新しい発見があったりしてな。


でも有限的な時間を、自分の全く興味のないことに注ぐのは、ちょっと気が引けるなとも思う。

あれこれと考えてしまうタイプの人間である俺は、本当に面倒くさい。


何も考えずに未経験のことをしたり、全く興味のないことをしたい。貝になりたい。


あれこれと頭のなかで考えている内に、がんじがらめになって身動きが取れなくなり、そしていつの間にかポックリ死んでしまうと思えてきたので、

原則的に死んでしまうまでの間、自分の好きなことや興味のあることをして時をダラダラ過ごして、時たま人生にスパイスを与えるとか言いながら、自分の全く興味のないことをしたり、未経験のことをしたりすれば良いのではないだろうかという、ありきたりな結論に辿り着いた。

自分の好きなことでルーティーンを固め、時たま意識的に変化を起こす。

これが、人生の飽きを紛らわせるやり方なのかな・・・。




おしまい。

自己中

どうも。

深夜2時〜3時あたりの時間帯が好きだ。

静寂で煩くないから。

昼間だと他の人間どもがウヨウヨと活動していて、とても煩いことが多いが、深夜だと比較的活動している人間も少なくなる。


自宅の窓を開け、夜風にあたりながらカフェオレを飲んでいると、至福の時間を過ごしているなという気分に浸れる。


静かな空間じゃないと、読書したりブログの文章を書いたり出来ない人間なので、ほとんどの奴が寝ている深夜帯は、本当に素晴らしいと思えるし、ここしかない絶好の機会だ。


煩くしている奴がいたなら、ドラクエの呪文のラリホーで眠らせてしまいたい。

また、昼間に騒いでいる奴がいたなら、これまたドラクエの呪文のラナルータで昼を夜に変え、


「活動時間は過ぎたよ。もう夜だから寝なさい。」とか言いながら、強制的に眠らせてやりたい。

まあ、読書や勉強、ブログの文章を書いたりする時は、静かな空間を望むということだ。


もし今後、誰かと一緒に暮らすことになったら、自分の部屋は必要だろうな。


じゃないと死んでしまう。


今はひとり暮らしでかなり快適なので、これが変化したり崩れてしまったりすることを想像すると、


「誰かと一緒に暮らすことって無理なんじゃないのか。」と思えてくる。



どんなに大切で愛している相手であったとしても、

自由をこよなく愛する俺にとっては、

「自分の時間が欲しい。」と思うだろうしな。

一緒に過ごす時間も大切だけど、自分の時間も大切だ。

こんな風に考える相手なら上手くいくだろうけど、

ずっと一緒にベタベタしていたい人なら、ちょっとしんどい。

昔付き合っていた彼女が束縛の激しい人で、

「俺の時間もくれや!」とキレそうになったことがある。


極度の寂しがり屋は無理だ。

誰かと一緒に過ごす時間も、ひとりで過ごす時間も、その両方を楽しめる人じゃないと厳しい。

寂しいからと言ってベタベタしてこられるのは、最初は嬉しいなと思えるけど、その内限界が訪れるに決まっている。

俺の場合、ひとりで過ごす時間は必須だ。


結果、極度の寂しがり屋ではなくて、精神的に自立している相手ということになる。


「煩くて騒がしいから寝ろ。」だとか、

「寂しい時には一緒に居て欲しい、でもひとりの時間も欲しい。」だとか、

我ながら自己勝手な生き物だなと笑けてくる。



「人間ってだいたいそんなもんです。」ってどこかのブログで書いてる人がいたけど、


本当に人間って自己勝手な生き物だよなと、つくづくそう思うのであった。





おしまい。

「人生は死ぬまでの暇潰し」 こう捉えることによって気持ちが少しだけ楽になった

どうも。

「人生は死ぬまでの暇潰し」

俺はわりとこの考え方には賛同している。


一見、後ろ向きな風に聞こえるかもしれないけど、実はこれ、「前向きであろうとしている」のだと感じる。

人生は何もかも無意味で、どんなことをしたとしても、結局最後は死んでしまう。



だけど死ぬまでの間、毎日自分が心から楽しいと思えることをして死んでいきたい。

少しでもこの虚無を忘れ去りたい。

そんなメッセージが暗に込められていると思う。




「人生は死ぬまでの暇潰し」と捉えることによって、実質俺も、人生への虚無感が、少しだけだが和らいだ。

気持ちがすっと楽になった。


人生自体はすべて無意味であり、虚無感から死にたくなる時ももちろんあるけど、人生死ぬまでの暇潰しであると考えることによって、

「達観による楽観主義」を意識的に作りだそうとしており、前向きに生きようとしているのだなと思ってくれて構わない。




もちろん、人生においては、家庭環境や病気なんかで、暇潰しどころではないという地獄もあると思う。


現に俺は、身体障害者で車椅子常用だから、健康的な人間に比べれば、その辺りは少しは分かるつもりだ。


楽しいことばかりではなく、

間違いなく、「人生ただの生き地獄」という側面もあると思う。


またその逆で、たとえ健康面や経済面で恵まれていたとしても、毎日暇で暇で仕方ないというのも、精神的に苦痛を伴うものであるから、ある意味生き地獄であると思うが・・・。





人生の最終的なゴールは死ぬことだし、人生自体が無意味なものであるとも知っている。

知っているのだけど、死が訪れるまでの間、さてどうやって自分の人生を面白おかしくしようかなと考える。


「人生死ぬまでの暇潰しだよ。」と口にだして言う人がいたなら、

前向きであろうとしているのかもしれない。




おしまい。

感謝

どうも。

5月21日の夜間に病院に行き、翌日の5月22日に尿管結石と診断されたが、あれからいくらか体調もマシになってきた。

食べては嘔吐、食べては嘔吐。

これをしばらく繰り返していたが、ようやく26日には、お粥を食べても吐かなかった。

翌日の27日には肉うどん、28日にはまぐろのたたきご飯、29日にはケンタッキーフライドチキンを食べるまでに回復した。




7年前に腸閉塞を患っていたため、食べ物を消化出来ることのありがたさは以前から知っていたが、やはり今回も改めて、そのことに感謝の念を抱いた。


食べ物を消化出来るって幸せ。


嘔吐を繰り返してだいぶ体力を減らしてしまったので、まだちょっとしんどいのだけど、なんとか無事に生きている。


おしまい。

尿管結石と診断された

どうも。

5月21日(月)の夕方、左側の腰あたりに激しい痛みを感じた。

寝ても座っても、どんな体位をとったとしても、痛みが和らぐことはなかった。

その後、寒気を感じ、嘔吐を繰り返した。

ネットで症状を調べていたら、腎盂腎炎なのではないかと思った。

医師に診てもらうのが最適だと思い、病院を色々調べていたら、また腰の痛みが激しさを増したので、救急車を呼ぼうかと思った。

流石に呼ぶほどではないかと思い、母親にLINEで連絡を送り、病院まで付き添ってもらうことにした。

1人で車椅子で自走することは無理だと思ったからだ。



夜間。


女医に診てもらうと、尿管結石と診断された。


この激しい痛みは、尿管に石が詰まっていたからかと妙に納得した。

入院しなくても良いのが不幸中の幸いで、

あれから4日経過した。

今はだいぶマシになってきており、繰り返していた嘔吐は一先ず止んだ。

そして今日の夕方、お粥を食べても吐かなかった。

お粥がこれほど美味しいと感じたのは、腸閉塞を患った時以来の久々の感覚だった。

塩気が心身ともに沁みる。


人間は、失ってこそ初めて気付く馬鹿な生き物なので、改めて健康な身体が1番だと思った。

どれほど愛しいことか。

普通の日常生活を営めることが、どれほど素晴らしいことか。


感謝の言葉を捧げたい。






(追伸)

療養中の飴とお粥ほど美味しいものはない。







おしまい。