読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

井口佑斗のブログ

井口佑斗のブログです

俺の好きな女で、打線を組んでみた 2017年度版

どうも。

毎年密かに、自分の好きな女で、打線を組んでいるのだが、今年もこの季節がやって来たようである。

現時点での今年のスタメンが完成したので、ここにご披露したい。

いや、こんなことをしている間に、さっさと三国志の続きを書けやと言われそうだが(笑)



2017年のスタメン。

1(遊)本田翼

2(二)川口春奈

3(中)山本彩

4(三)新垣結衣

5(DH)小嶋陽菜

6(右)鈴木杏樹

7(左)ホラン千秋

8(捕)ZARD

9(一)熊切あさ美

これを考えるのに、2時間も費やした。

まさに無駄の極致であるが、

今年もなかなかの強力打線が出来上がった。



なぜこのメンバーになったのか、順番に解説していこう。

まずは1番の本田翼から。


2015年〜2017年の3年間とも1番というポジションに定着しており、もはや不動の1番バッターとなっている。

俺は、ショートヘアの女性に滅法弱い。

ショートが似合う女性は、「地そのものが可愛い」という持論がある。

演技力は「?」だが、バッサーは可愛い。


あの若さをもってして、打線に勢いをつけたい。


続いて2番には、川口春奈が見事打線入りを果たした。

初の快挙である。

一時期、「低視聴率女」というレッテルを貼られたこともあったが、俺はなんのその。

全然気にしていない。

ルックスはあるが、なぜか爆発的に売れない。

そんな風に言われてしまうこともあるが、好みのルックスなので、俺は全然気にしていない。

逆境を跳ね返し、今年は見事にスタメン入りした。

存分にその力を発揮してもらいたい。


続いて3番は、あご姉(さや姉)こと、山本彩である。

去年も三番だったが、日に日にその存在感は増してきている。

将来的には、4番を打たせるつもりであるが、今はあえてこの3番のポジションにしている。

出来る限り経験値を積ませ、ゆっくりと、確実に育てたい。


4番は今年も、平成の吉永小百合こと、ガッキーである。

もはや言葉は要らない。

まさに俺の中で、不動の4番である。


5番には、DHとして、小嶋陽菜を起用した。

俺のなかで彼女は、なんか常に楽しそうに生きているなという印象があり、見ているだけで、こちらも楽しい気分になってくる。

その天真爛漫さをもってして、この打線を、大いに盛り上げてもらいたい。


6番には、俺の中で常にスタメン入りを果たしている、ベテランの鈴木杏樹を起用した。

年齢的に考えても、彼女は劣化しないし、大変美しい。

そこらの10代や20代なんかに、余裕で勝っていると思う。



7番には、今回初登場である、ホラン千秋がスタメン入りを果たした。

よく喋り、キツいものの言い方をするので、世間では、強い女だとか、うるさい女だとか、そういう風に見られているようだが、俺は彼女の話す内容を聞いていると、そこに賢さが滲み出ていると思うし、俺は好きだ。

きっと会話したら楽しいと思う。

そして、料理教室に通う彼女の姿を見て、俺は確信した。

家庭的な女性だと。

その上、彼女を見ていると、一度叱られてみたいという、マゾ的な欲望が、なぜか知らんが、わきあがってくるのである。

普段はそんなことを、これぽっちも感じたこともないのに、俺をそんな気にさせるとは、これはもう、かなりの実力の持ち主ではないだろうか。

そう思ったので、今年はスタメンに入れてみた。


8番には、今は亡き、「ZARD」を捕手に据えている。

2007年に亡くなった時は、俺は大学生だった。

あの時は、大変ショックを受けた。

そのショックのあまり、講義も自主休講したぐらいだ。

訃報を聞いた時、俺はちょうど大学のPCルームに居て、レポートを作成していたのだが、気付いたらポロポロと、涙を流していた。

彼女の突然の死は、それはあまりにも悲しかった。

ひとつの大きな輝く星が消え、この世から、全ての希望が失われたとさえ思った。

亡くなってから、あれから今年でもう10年目になる。

彼女の死は、いまだに信じられん。


続いて9番には、熊切あさ美を入れてみた。

初登場である。

あるテレビ番組で、

「どこか行きたい所はある?」と聞かれ、

「あなたの行きたいところについていく。」と答えていた。


まるで、3歩下がって男の後ろを歩いていく、古き良き昭和の女である。

また彼女はこうも言っていた。

「家では、男の人を働かせたくないと思っている。だからこそ、好きな男に過度に尽くし過ぎて、家政婦を通り越して、もはや介護みたいになってしまう。」と。


このようなタイプの女性は、今の世の中においては、もはや絶滅危惧種のような存在だろう。

俺は直感的に悟った。

これは、保護せねばならぬと。


実はたいていの男は、こういうタイプの女を、心のどこかで、無意識に求めているところがある。


崖っぷちアイドルとして、その名を売っていた時もある彼女だが、最近は妙にエロいなと感じる。

なんかいい味出てきたなと思えるので、今年のスタメンに入れてみた。


以上が2017年度版の打線の解説であるが、いやはや今年も、強力な打線である。

これでリーグ優勝、ひいては、日本一を狙いたい。


おしまい。




ちなみに、2015年と2016年のスタメンがこちら↓


2015年のスタメン↓2016年のスタメン↓

1(遊)本田翼 1(遊)本田翼
2(二)高部あい 2(二)バルサ綾瀬はるか
3(中)鈴木杏樹 3(中)山本彩
4(三)YUI 4(三)新垣結衣
5(DH)小嶋陽菜 5(DH)鈴木杏樹
6(右)ZARD 6(右)ZARD
7(左)前田敦子 7(左)前田敦子
8(捕)石田ゆり子 8(捕)小嶋陽菜
9(一)大政絢 9(一)椎名林檎

どうしてこうなった コノヨノオワリ

どうも。


f:id:yuto3594:20170218095535j:plain

世間に取り残されながらも、いまだにDS三国志をプレイしているのだが、上の画像を見て欲しい。

もはや、どうしてこうなった的な状態である。


まず、俺の領土だが、左下の肌色のマス部分である。

仮想モードの新君主としてプレイし始めたのだが、最初は1つで、周囲には紺色の劉璋が存在していた。


「まずはひたすら内政に力を入れて、劉璋と戦えるだけの力をつけるしかない。劉璋勢力を倒したら、天府の国蜀から飛び出して、いよいよ天下統一に名乗りをあげるぞ!」と息巻き、ひたすらヒキコモリ内政生活を続けていたのだが、その間に、周囲の状況は、とてつもなくヤバいことになっていった。

まず、赤色のマス部分は、孫権の親父で、江東の虎こと、孫堅の領土である。

これは別にいい。

呉の勢力が拡大することは、戦力的に考えても、何ら不思議なことはないからだ。

しかし問題は、ピンクのマス部分だ。

この部分を領有しているのが、あのハチミツで有名な袁術なのである。

袁術は、曹操劉備袁紹などの強豪勢を滅ぼし、遂にその勢力をここまで拡大した。

夢だと思った。

にわかには信じられなかった。


俺が必死で内政に明け暮れている間に、どうやら天下は、孫堅袁術の二大勢力で、覇を競い合う世の中になっていたようである。

仮想モードとはいえ、曹操劉備袁紹が、まさか袁術によって滅ぼされてしまうとは、思いもしなかった。

袁術に、天下統一の可能性があることに、興奮と動揺を隠せない。(笑)

まさにこの世は、乱世である。

おしまい。



世界史の教科書だとかいう牙城

どうも。


f:id:yuto3594:20170217232232p:plain

2017年1月16日。

俺が書いた電子書籍版の「三国志 第1巻」がAmazon無料ランキングで2位になった。

現在は5日間の無料期間を終えて、117円の有料となっている。

興味のある方はぜひ購入して頂き、117円というお金を、この私に恵んでやってもらいたい。
(有料になってからも、ポツポツと売れている)



無料ランキングとはいえ、順位にはとても嬉しかったのだが、注目してもらいたいのは、この画像の有料ランキングの1位が、世界史の教科書になって
いるということだ。

恐ろしい。

こうして眺めてみると、崩せない最強の牙城に見えてくる。

学校教育というものが存在する限り、学生や教員なんかが購入するし、また、歴史好きも購入する可能性もあるわけだから、需要が無くなることもなく、安定感はナンバーワンである。


「俺、何と言っても教科書よ。そこいらの奴等とは、格が違うのよ。格が。」

なんだかそういう風に、こいつに言われているような気がしてきたが、俺は三国志の続きを頑張って書きたい。

今日はこの辺でおしまい。



三国志

久しぶりの更新

どうも。

しばらく更新が途絶えていたこのブログ。

それはなぜか。

理由は単純明快で、

書きたいと思うことが無かったからである。

書きたいと思うことが無ければ、無理に書く必要はない。

そう思っている。

でもこれが例えば、期限が定まった雑誌の連載ものの文章ならば、たとえ書きたいと思うことが無くても、そこは無理にでも書かなければ、出版社に迷惑をかけ、挙げ句の果てには自分がクビにされるという、分かりきった明るい展望と未来図が、はっきり見えるのだが、このブログにおいては、いつまでに書けという期限も無ければ、迷惑をかけてしまう相手も存在しないのである。

だからこそ、「怠惰」を生み出すということも言えるが(爆)

書きたいと思って書いた文章でさえも、糞の駄文しか生まれてこないというのに、この俺が、そこを無理に書いてしまったならばきっと、糞の中の糞、駄文の中の駄文、もう「大駄文」しか生まれてこないだろう。(大駄文ってなんだ)


今日は書きたいと思ったので、こうして書いているが、そろそろ疲れてきたので、この辺りでおしまい。





sample

ジョージ・オーウェルの「動物農場」を読了した

今朝、ジョージ・オーウェルの「動物農場」を読了した。

人間たちに支配されている農場の動物たち。

人間たちのために酷使されるその生活は、酷く苦しく、凄惨なものであった。

ある時、動物たちから尊敬されていた老豚のメージャー爺さんは、彼らの前でこう演説した。

「我々の労働より生ずる収穫のほとんどが、人間たちによって盗まれている。飢餓と過労の根源は、人間たちに原因がある。同志たちよ、農場より人間を追放せよ。」と。

この演説を聴いた動物たちは、熱狂的に興奮し、触発感化され、反乱を起こす決意を固めたのであった。

その後、メージャー爺さんは亡くなったが、頭の賢い、スノーボール、ナポレオン、スクィーラーという3匹の豚の指導者により、メージャー爺さんの教えを練り、「動物主義」という思想体系に纏め上げた。

革命に向けて、動物たちを啓蒙していき、

そして遂に、動物たちは、人間たちの追放に成功した。


その後、革命に成功した彼らは、

「すべての動物は平等である」という戒律を定め、彼らにとっての理想的な社会の建設に向けて、邁進していくことになるが、やがて農場の経営方針を巡り、スノーボールとナポレオンは、事あるごとに対立。

ナポレオンは、自分にとっての邪魔者であるスノーボールを追放し、動物たちの指導者として、己の権力をほしいままにしていき、戒律も、

「すべての動物たちは平等である。しかし、ある動物は、ほかのものよりも もっと平等である。」という風に書き換えてしまった。

動物たちがナポレオンに対して、何か意見を言おうとすれば、羊たちの「2本脚は悪い。4本脚は良い。」というシュプレヒコールにかき消されてしまう。

また、不平不満を言おうものならば、ナポレオンによって手懐けられた9匹の猛犬が、彼らに唸り声をあげて牙を剥いた。

農場は、スノーボールがいた頃のような平和的な議会主義的民主主義ではなく、恐怖をもってして支配するという、恐怖政治に覆われていくことになった。

かつて人間たちが支配していた頃よりも、農場は凄惨さを増し、生活は苦しくなっていった。

それでも動物たちは、自分たちの手で築き上げたこの世界と自己に対して、誇りをもって懸命に生きていたー。

大変長くなってしまったが、これが本作の筋書きである。



ぐぬぬ

読んでいる最中から胸が締め付けられてしまい、読後、しばらく憂鬱な気分に陥った。

ハッピーエンドではないので、何とも言えない、煮え切らないような、後味の悪さである。

人間たちに支配されていた頃よりも、自分たちにとって、より良き理想的な社会を建設していこうと、豚のスノーボールを中心として、動物たちは邁進していた。

それを妬んだ豚のナポレオンが、彼を追放してしまい、一手にその権力を集中させた。

スノーボールは、議会主義的な民主主義をもってして、動物たちの農場を治めようとしていた。

スノーボールが統率していた頃は、平和的であったが、ナポレオンが統治するようになってからは、独善的な恐怖政治そのものであった。

改善するつもりが、改悪されていくなんて、とても辛い。

前よりも状況が悪くなっていくという一連の過程を見るだけでも、心は痛み、胸が締め付けられる想いがしたが、さらに心苦しいのは、それでも尚、自分たちの住む世界は、人間が治めていた頃なんかよりも、格段に良くなっているはずだと、信じて疑わないその愚直なまでの動物たちの姿である。



本当は、自分たちの住む世界とは別のところに、

もっと良い理想的な社会があることは、薄々知っている動物も中にはいたが、自分たちが今まで成し遂げたことや自分たちの住む世界こそが、素晴らしいものであると思い込まねば、そこでは生きていけなかっただろう。




また、作品は、寓話形式で書かれている。

ジョージ・オーウェルの生きた時代と対比させて考えると分かるが、これは明らかに、その寓意は、スターリン体制下のソビエト連邦、ひいては、外交交渉のあった、イギリスやドイツへの風刺である。(これが定説であると言われている)

確かに、作中の動物たちを、実在の人物に対応させると、下記のようになる。

(参照)
☆メージャー爺さん=レーニン

☆スノーボール=トロツキー

☆ナポレオン=スターリン

☆9匹の猛犬=国家秘密警察

☆羊たち=青年共産主義同盟


また、なぜジョージ・オーウェルは、寓話形式を採用したのかとよく言われるが、作中に、政治的な主題を取り入れて、人々に分かりやすく説明するためには、この形式が一番分かりやすく、伝わりやすいのである。

ソビエト連邦への政治的な配慮があったから、だから寓話形式を採用した、という見方もされているらしいが、確かにそれもあるだろう。

ダイレクトに政治的な事柄を描くよりも、寓話形式にして、寓意や教訓を組み込む方が、押し付けがましくなく、読者に伝えることが出来るのである。
(説教する時に有効な方法である)


また、読み手の立場や年齢などによって、様々な読み方が出来るようになり、作品は、味わい深いものとなる。
(解釈を読み手に委ねる)


単純にプロットを追って、読み物として楽しむのも良し、俺みたいに、社会風刺と捉えるのも良し、ここに、権力機構の打倒と形成、そして堕落していくというその様に、一連の権力機構の形成過程を見出だすのも良し。

様々な読み方が出来ると思われる。

だからこそ、小説を読むことは、楽しいものなのだ。


ふと思ったのだが、作中に登場するインテリロバのベンジャミンは、あれはジョージ・オーウェルの代弁者ではなかろうか。

ベンジャミンは、こんな台詞を、動物たちに向かって言っている。

「現に、事態が著しく良くなったり悪くなったりしたおぼえは1度もないし、また、著しく良くなったり悪くなったりするはずもないものなのだ、空腹と、辛苦と、失望、これが、いつも変わらぬこの世の定めなのだ。」

彼の作品の文章からは、

人間不信や厭世主義が溢れんばかりに見てとれる。

諦念感さえも漂ってくるのだが、しかしまだそこに、完全に諦めきれないような、微かで見えにくい、燻ったような希望を抱き、それを大衆に、

ひいては将来の子どもたちに期待しているがため、

「あえて」この寓話形式を採用したのではないだろうか。


作品を読んでいる最中、彼の心の声が聴こえてきた気がした。


「今の我々の世代では叶わぬが、将来きっと、より良き社会が築かれることを信じて、この作品を執筆した。」と。

ジョージ・オーウェルは、民衆を苦しめるだけの伝統的な支配者だけでなく、民衆の側に寄り添うと見せかけておきながら、ただ自分たちの欲望を満たすために、権力を一手に集中させるという、卑怯なやり方をもってして、民衆を欺いた奴等の実態を、世間に晒した。

ソビエト連邦の体制を、社会主義の仮面を被ったファシズムと批判し、弾劾した彼は、支配者に虐げられながらも、それでも懸命に生きようとする民衆に寄り添う、心優しき人であったのだなと、窺い知ることが出来るのである。



(追伸)
トランプ大統領の移民制限のニュースを見ていて、世界はさらに一段と、そのカオスさが増してきたなという想いがわき起こり、ひょっとしたらこれは、どこかのタイミングで、「世界大戦」とか起きそうだなという、何の根拠もない、漠然とした不安感に包まれていた。

こんな不安感を持ったことは、生まれてこのかた初めてであるのだが、そんな最中に、なぜかネットで、「制限」というワードで検索してみると、ディストピア小説にぶち当り、そしてその中に、

この「動物農場」があった。


ジョージ・オーウェルといえば、

小説「1984年」で高校生の頃よりその存在を知っていたし、

大学時代の研究室で、教授がやたらと俺にオススメしてきたので、なんやかんやと知っていたのだが、

動物農場」という作品は、まだ未読だった。

そのタイトルに惹かれて、Amazonで購入し、こうして読んだ後の感想を書いているのだが、

彼の文章は、平和的な治世の時代よりも、むしろカオスで乱世の時代にこそ、心に響いてくるのではないだろうか。

三国志の陶謙と公孫瓚 果たしてどちらがクソなのか。 その2

前回の続き。

前回は、陶謙のクソエピソードを書いたが、今回は、公孫瓚のクソエピソードを書いていきたい。


〈公孫瓚 クソエピソード その1〉

当時公孫瓚は、袁紹と抗争状態にあった。


その時、上司である劉虞が、これ以上人民を苦しめてはならぬと、両者の抗争に対して、停戦を呼び掛けるも、公孫瓚はこれを拒否した。

劉虞は、人民のためを思い、公孫瓚への物資輸送をストップ。


これにキレた公孫瓚が、幽州領内で略奪行為を繰り返した。(劉虞が、融和措置の一環として烏桓族に与えた褒賞さえも略奪した)

ここに、公孫瓚の愚かさと、逆ギレを見ることが出来る。

素晴らしい。クソだ。



〈公孫瓚 クソエピソード その2〉

袁紹との抗争において、停戦はしないし、おまけに領内で、略奪行為も繰り返している。

これ以上公孫瓚を野放しには出来ない。

そう思った劉虞は、公孫瓚のいる城へと赴き、何度も面会を試みるも、結局は会えなかった。
(この時公孫瓚は、仮病を使っていた)

遂に劉虞は、部下の公孫瓚を取り除かねばならぬと決意し、兵を起こしたが、あろうことか公孫瓚は、

本来守らねばならないはずの人民を、自分の盾にして、劉虞に抗戦した。

結局劉虞は、公孫瓚による人民バリアに対して、手が出せなくなり、公孫瓚に捕らえられてしまった。

公孫瓚は、劉虞を市中で引きずり回した後、早速処刑しようとしたが、民らが、

「劉虞様をお助け下さい。」


と助命嘆願してきたので、流石に鬼畜公孫瓚も、すぐには処刑を実行することが出来なくなった。

この時季節は8月で、乾期であったが、そこで公孫瓚は劉虞に向かってこう言った。

「雨を降らせてみろや。それが出来たら、助けてやるわ。」と。

結果、雨は降らずに、劉虞は処刑されてしまう。

まあ最初から、劉虞を助ける気なんて、サラサラなかったとみえる。

やっぱり素晴らしい。クソだ。


〈公孫サン クソエピソード その3〉

公孫瓚の本拠地であった易京に、袁紹の大軍が押し寄せてきたが、公孫瓚は、

「援軍を送ってしまえば、将兵たちは必死になって戦わない。だから援軍は送らない。」とかなんとか意味不明なことを言いだし、味方の将兵に対して、援軍を送らなかった。


援軍が来ないと知った兵士たちは、上司である将軍を殺し、その首を手土産として、袁紹軍に次々に投降した。

結果、公孫瓚は敗北。

城に火を放ち、自分の家族を殺した後で、自らも自害した。


いや公孫瓚、援軍送れよ。

家族を殺さずに、自分だけ死んでおけよ。

そう思った。

素晴らしい。最初から最後までクソだった。




以上が、陶謙と公孫瓚のクソエピソードである。

それぞれ3つずつ披露したが、ちょっとここでまとめてみたい。

〈陶謙〉

・曹操に自分からちょっかいを出しておきながら、挙げ句の果てに自滅。(鮮やかな自業自得)

・招聘した人たちが仕官を断ると、脅したり、獄にぶち込んだりする。(華麗なる自己中)



〈公孫瓚〉

・上司からの停戦命令に対して、逆ギレして略奪を繰り返し行い、戦闘中は、人民を盾にしたりする。
(逆ギレ&人民バリアという偉大なるコンボ)

ZARDの永遠という曲があるが、その歌詞の中に、

「守るべきものは何なのか この頃 それが分からなくなる」とある。

もしかして公孫瓚は、こういう状態に陥っていたのかもしれない。

一刻も早く、落ちてしまった穴から、抜け出して欲しい。そう願う。


・味方に援軍を送らず、袁紹に敗北。
(当然の結果、見事なまでの自業自得)






陶謙と公孫瓚、どちらがクソな奴だと思われたであろうか。

俺から言わせれば、どちらもたいがいで、トントン。

もの凄くいい勝負が出来ると思うが、最終的な判断は、読者の皆様方に委ねたい。

おしまい。

三国志の陶謙と公孫瓚、果たしてどちらがクソなのか。 その1

陶謙(トウケン)と公孫瓚(コウソンサン)。


どちらも三国志演義では、良きイメージで脚色塗装されている二人だ。

演義は基本的に、劉備をメインとしているため、彼に関係のあった奴らのことは、基本的に、悪くは書かれない。

この二人も、劉備と関係のあった間柄なので、悪くは書かれていない。

だか今回は、三国志演義ではなく、史実に基づき、この両者を比較してみたい。

果たして、どちらがクソなのか。

それは最終的に、読者の皆様に判断してもらいたいが、ここでは、両方ともクソな奴だという前提を踏まえて、話を進めていく。

二人のファンの方には申し訳ない。

ここで、最初に謝っておきたい。




また、三国志を題材にした電子書籍を出版している身としては、三国志の世界は、クソな奴がゴロゴロいるなという印象だが、今回はあえて、この二人をクローズアップしてみた。

さあ、話を進めていこう。




陶謙(トウケン)
西暦132年〜194年。
徐州牧。


公孫瓚(コウソンサン)
西暦〜199年。
北平太守。


まずは陶謙

〈クソエピソード その1 自業自得〉

下邳(カヒ)で皇帝を自称していた闕宣(ケッセン)という奴と手を組み、曹操の領地であった泰山郡にて略奪を行った。

曹操は激怒し、その報復として、陶謙の領地であった澎城国を攻めた。

陶謙は、自分から先に仕掛けたくせに、曹操の報復行為に激怒し、自慢の丹陽兵を率いて、澎城国の救援へと向かうが、ここで曹操青州兵に負け、丹陽兵の部隊は壊滅した。


陶謙は、本拠地の東海郡まで逃走し、公孫瓚に救援を依頼。

公孫瓚のもとより、劉備と田カイが駆けつけてきたが、この時曹操軍は、兵糧不足により、軍を撤退させた。

救援として駆けつけてきた二人であったが、到着してみると、曹操軍はいない。

やることがなくなり、田カイは公孫瓚のもとへと帰還し、劉備はそのまま陶謙のもとに留まった。

曹操に自分からちょっかいを出しておきながら、結果、自分で自分の首を絞めるという展開に。

この一連の流れをみるに、感想としては、「クソ」というよりも、「アホ」である。

淡々と自己の勢力拡大をしておれば良いものの、皇帝を自称しているような男と手を組むとは、一体何を血迷ったのだろうか陶謙は。



〈クソエピソード その2 ただの自己中〉


趙昱(チョウイク)という名士を招聘しようとしたが、断られたため、刑罰をもって脅し、無理矢理仕官させた。

脅して無理矢理仕官させるとかw

ただの自己中やん陶謙



〈クソエピソード その3 やっぱり自己中〉

陶謙は、「内政は張昭に聞け。外交は周瑜に聞け。」というあの有名な台詞でお馴染みの名士、張昭を招聘しようとした。

しかし張昭は、これを拒否。

怒った陶謙は、張昭を獄にぶち込んだ。

自分の配下にならず、言うことを聞いてもらえなかったからと言って、獄にぶち込むとか・・・。

陶謙は、ただの自己中、いや、キチ◯イやん。


次回に続く。