どうも。
例えばここで、阪神タイガースが好きだと書けば、同じく阪神タイガースを好きな人には好かれるかもしれない。
だが逆に、阪神が嫌いな人には嫌われる可能性もある。
阪神タイガースが嫌いな人の前で、
「私は阪神タイガースのファンです。」と宣言したミュージシャンがいたなら、今までそのミュージシャンのことが好きだったのに、もしかしたらその宣言1つだけで、ミュージシャンごと嫌われる可能性もあるのだ。(そんなことぐらいで嫌うなら、本当のファンじゃなさそうだけどな)
またここで、阪神タイガースが嫌いだと宣言すれば、そうだそうだと共感され、同じく阪神が嫌いな人には好かれるかもしれないが、逆に阪神タイガースが好きな人には嫌われる可能性がある。
「◯◯が好きだ」とか「◯◯が嫌いだ」とか、そういう宣言をすることで、誰かに共感され、ファンを徐々に拡大していくことも出来るので、もちろん良い面もあるにはある。
また、「◯◯が好きだ」と叫ぶよりも、
「◯◯が嫌いだ」と叫ぶ方が仲間は集まりやすいと感じる。(負の感情を持った仲間が集まりやすい)
しかしこれって、結構戦略的に宣言しないと、
足元をすくわれてしまうというか、安易に宣言すべきではないのかもしれないなと思うこともある。
ファンを獲得出来ると同時に、アンチも拡大する怖れがあるからだ。
映画「バトル・ロワイアル」で、
「そいつのことを嫌うってことは、最悪殺される可能性も十分にあるから、覚悟して宣言しろ!」みたいな趣旨を言っていたことがあったけど、感覚としてはあれに近いイメージだ。
「好きなものは好きと 言える気持ち 抱きしめてたい」とマッキーが歌っているけど、この世の中ってなかなかそれが難しいよなと感じる時がある。
「え、そんなものが好きなんですか!?」と自分の好きなものをバカにされたり、自分の贔屓にしていたものを嫌いと言われて、「ガーン!俺はあれが好きなのに!」と密かにちょっとショックを受けたり。
何も難しく考えず、誰の声も気にせず、
好きなものは好きと言いながら、気楽に生きていくことが出来たら、それが1番良いに決まっている。
何か1つ宣言するだけで、ファンとアンチの両方を生み出してしまう宿命からは逃れることは出来ないだろうし、世の中は本当に怖いなという一面もあるにはある。
なので慎重になってしまうという人も、結構多いのかもしれないな。
まあ、こんなことを考えている人の方が、案外少数派かもしれないがw
好きだとか嫌いだとか、
このクソで素晴らしい人間社会で、何かを1つでも宣言する時は、覚悟と勇気を持って宣言して下され。
そこは各自、自己判断でお願いしたい。
おしまい。