いぐちゆうとの雑記ブログ

いぐちゆうとの雑記ブログです。

明日から12月

どうも。

明日から12月である。

早いものだ。

毎年この時期になると、

「今年は何をしたかな?」と一応振り返ってみるのだが、特に何もしていない気がする。

そして毎年のように、

「特に何もしていない」と書いてる気がする(笑)

やはりこの例からも分かるように、歴史は繰り返されるらしい。


最近寒くなってきたので外出したくないなと思うけど、ATMでお金を引き出してこなければいけない。

これが唯一のネックだ。


自宅に居ながらでも、生活のほとんどがキャッシュレス決済で何とか凌げる世の中だけど、

祝金を友人知人に渡すような、

現金が必要なケースに出くわすこともある。

(LINEで送金も出来るけど、ちゃんと祝儀袋で渡したい)

なので、やはりATMから預金を引き出してこなければいけないけど、

これが自宅に居ながら預金を引き出して、

手元に現金をゲット出来たなら、完璧なる引きこもり生活が成立するのになと夢想してしまう。
(引きこもりがもっと増加するかもしれない)

誰か早くそういうシステムを開発して(笑)




おしまい

動かせる身体と頭がある内は

俺は身体障害者だ。

外出する時は車椅子を使用する。

障害者手帳を所持しているが、そこには1級と書いてある。

苦労も不便も多いし、はっきり言ってしんどいことばかりだ。


死にたいと思ったことは何度もある。



だが「車椅子」という道具を使用すれば、

階段や大きな段差以外なら、自由に移動することが出来る。


寝たきりの人に比べたら、まだまだ自由に動ける。


これは本当に有難い。




俺より苦しんでいる人はいくらでもいる。

だから懸命に生きなければ叱られる。

そう思って生きてきた。

だけど正直、心身共に疲れる時もある。




車椅子で動けるのだからまだマシな部類だ。

こう思わないと、人生やってられない。

別に身体に障害があることを望んで生まれたわけではない。

しかしまあ、誰のせいでもない。


動かせる身体と頭がある内は、これを最大限使わなくては。


何のために身体障害者として生まれたのか。

何のために身体障害者として生きているのか。

俺には何か使命があるのだろうか。

一体なぜだ。何のために。


幼き時からなぜなのだと思って生きてきた。


分からない。

分からないが、出来るだけ社会貢献して死んでいきたい。

齷齪せずにのんびり生きよう。

自殺はしない。

死ぬまでの間は、毎日ワクワクを探して生きる。

車椅子常用なのでもちろん不便でしんどいこともあるけど、結構楽しいことも多い世の中だから。


おしまい。



(追記)
2021年3月18日(木)

最近は左膝の怪我と歯痛に見舞われている。オホホホホホホ。

人間追い詰められたら嫌でも行動する

どうも。

人間は追い詰められたら行動する生き物だ。

例えば「うんこ」が出したくなったとする。

漏れそうだ。

このままではヤバい。

その場で漏らしても構わないというなら話は別だ。



しかしたいていの人は、世間体や羞恥心を持っていることだろう。

また、うんこを漏らすと周囲へ臭いが拡散する怖れがあって迷惑となる可能性がある。

己の身体の衛生面も不潔だ。

そんなこと考えたり、考える暇さえもなかったりして、人は必死でトイレを探しまくることだろう。

「トイレは!トイレはどこですか!!」


トイレを見つけたら急いでパンツをおろし、急いで便座に腰をおろす。

そして便座でうんこを出しながら、

「あー間に合って良かった♥️」と安堵感に包まれるのだ。



人間生活を続けているとよくありそうな光景だ。

そう、人間は追い詰められたり切羽詰まった時は、嫌でも行動する生き物なのである。

なかなか行動出来ずに悩んでいるならば、わざと自分自身を追い詰めてしまえば良い。(うんこ漏れそうな状況みたいに)

それだけだ。

行動したいのに行動出来ない時は、自分への追い込み方がまだまだ足りない証だ。

嫌でも行動しなければならない状況を、意識的に自分の手で作りだしてしまえば良い。


また、勉強してから行動するのではなく、まずは行動してみる。

そこでもし失敗したり、上手くいかないと感じるなら、そこから勉強する。

この方が自分の身になりやすいし、失敗して獲得出来る知識や情報もあるのだ。





例えばこれをドラクエなどのRPGに置き換えてみると、

まずは装備無しで、とにかくドラクエでスライムに挑む。

スライムにボコボコに負けてしまった。

なぜ負けてしまったのか考えたり、攻略サイトを読んだりする。

装備をつけることを知ったので、ひのきのぼうを持たせる。


もう一度スライムに挑む。


スライムを倒すことに成功した。


また新たな強敵が現れ、ボコボコにされる。

また自分の頭で考えたり、攻略サイトを読んだりする。


さらに強い装備を整え、相手に挑み勝つ。

また新たな強敵が現れる・・・。



とりあえず行動する→失敗を経験する→なぜ失敗したのか考える、または本などを読んでヒントを探す→また行動する


この繰り返しが人を成長させると思うが、


勉強をきっちりやった上で挑む人も多いと思う。

挑まない人よりかは遥かにマシだが、

まずは挑む。

分からない部分が出てきた時に、初めて勉強する。

このプロセスを辿った方が、なぜ失敗してしまったのかと自分の頭で考えるようになる。

この方法では上手くいかないのだなと、

失敗から多くのことを学べ、そして自分の身にもなりやすい。

☆勉強してから行動する。

☆まずは行動してから勉強する。

どちらのプロセスを辿るかは、好きにしてもらえば良いが・・・。

行動しない方がリスクが高くなく、自分や周囲のためになるという場合ももちろんあると思う。

戦略的に根拠を持ち、あえて行動しないことを選択しているなら別に良いのだが、

何もそういった考えがなく、

ただ怖れて行動しないことを選択してる場合は、残念だなと感じる。

まあ、人間本当に追い詰められたら、嫌でも行動するだろうけど。(危機的状況に追い詰められたら、嫌でも行動するだろう)


おしまい。

与えて欲しいなら、まずは自分から与えろ!

どうも。

与えて欲しいなら、まずは自分から与えなければならない。

自分の権利や欲望を主張するだけの輩が多すぎるのだ。

例えば、婚活を行っている女性のなかで、男性に対して、

「年収◯◯円以上」という条件を設けていることが多いと思う。

年収の条件を設けること自体は別に悪ではないし、

結婚生活を続けていく上でお金は大事だから、それはめっちゃ分かるが、

逆に男性の立場からすると、

「じゃああなたは何を提供してくれますか?」と思っている男性もいるだろう。(これはお互い様だが)



そう、だいたい自分のことしか考えていないから、

婚活市場で売れ残るのである。

自分が望むことを明確化させることももちろん重要だが、

それと同時に、自分は相手に何を与えることが出来るだろうかと考えてみる。


相手に与えるものは色々ある。

お金、時間、労働力、愛情、知識、技術、情報、人脈等々・・・。

他にも色々あると思うが、

自分が所持している中で、相手にとって役立ちそうなものや相手が欲しがっているものを、まずはこちらから提供する。

すると相手からの「信頼」を得たりすることもあるのだ。(絶対とは言えないが)


秀吉が信長のために草履を懐に温めていた逸話はあまりにも有名だが、その話からだけでも、

相手のことを考えて動くことが、信頼獲得において、いかに大事かが分かるだろう。

何かを与えるから、何かを与えてもらえる。

今一度、これを忘れないようにしたい。


おしまい。

「頭のいい お金の使い方」を読んで 第1章部分の感想

どうも。

「頭のいい お金の使い方」を読了した。

ここにログを残しておこう。


お金を貯めたり稼いだりすることではなく、

お金の使い方に着目した書籍である。

ここがこの書籍の「ウリ」だ。


お金は貯めているだけだと何の機能も果たされない。

お金は使って循環させてこそ、その機能が果たされる。

無駄に必要以上の銭をたっぷり貯め込んでいて、

最後は結局、

葬儀屋さんや介護施設、病院なんかにお金をたっぷり落としてから、コロっと死んでいく高齢者って多い。

なんか悲しいというか、虚しい話だ。

お金は墓場まで持っていけない。

政府が郵便局に貯金しろと教育・宣伝してきたり、

自分や自分の親が戦争や貧困で苦労していたり、将来への漠然とした不安から、お金を必要以上に貯めまくるのだろう。

将来や不測の事態に備えてお金を貯めること自体が悪いわけではないし、何があるか分からない世の中において、慎重になるのも分かる。

分かるのだけど、世の中の経済のことを考えたら、必要以上に貯め込むよりも、

経済を循環させるために使わなきゃなとも思う。

使わず貯め込むだけなら、結果的に自分の首を絞めることに繋がる。

お金をどんどん使って、社会や人のために役立ってから死んでいこうと思った。




また、お金の使い方には、「生き金」と「死に金」の2種類が存在する。


使った以上の評価を得るのが「生き金」であり、

逆に評判を落としてしまうのが「死に金」である。

お金を消費して評判を落とすとか、そんなの最悪だな。

むしろその行動をしない方が良かったのではないか。

そんな風に思えてくる。



そう、お金は使わなきゃ意味がないのだ。

お金を使えば、自分の世界が動き出す。

これは本当にそうだと実感している。

例えば、お金を使って書籍を購入する。

そして読書するだけで、新たな知識や情報を獲得出来るし、自分の世界や視野は広がる。


また、新しい人間関係を構築するために交際費を払い、積極的に人に会うのも良いだろう。

もちろん、既存の人間関係をより一層深めるために、定期的に会うのも良いと思う。



新たな人間関係を構築すると、色んなチャンスが舞い込むし、耳からも新しい知識や情報が入ってくる。

お金は使えば使うほど、

確かに色々世界が動き出すし、自分の世界が広がっていくのだ。


お金は便利な道具だが、どうやって有効に使うのか、その使い方が難しい。




自己を高める自己投資に使うのも良し。

他人のために使い、その人との関係性を深めるのも良し。

どうせお金を使うなら、

使った以上のリターンを獲得したい。

何に使えば自分や社会にとってプラスになるか。

常にそれを考えながら、

「生き金」になるように使いたいものだ。


なかなかタメになる書籍だ。


おしまい。

お金に対するイメージなんてポジティブなことしかない

どうも。

お金はモノやサービスを購入することが出来るし、自分の夢や願い事を叶えるための便利で素晴らしい道具である。


また基本的に、労働の対価でお金という報酬をもらうわけだが、これは相手からの「ありがとう」の証でもある。

たくさん稼いでいる人は、たくさんの人からありがとうと思われているわけだし、それだけ他人のために自分の大事な時間や労力を捧げているともいえる。

女性が収入が多い男性を好むのは、

「収入が多い=他者への貢献度が高い男=自分のために尽くしてくれる確率も高い」という式を頭に描いているからではなかろうか。

仕事という形をもって他人や社会に貢献している男であっても、その女性に貢献してくれるとは限らないがw



他者への貢献をせず、自分の時間を優先する人は、悪く言えば自己中心的な考え方を持っているとも言えるし、ある意味自分自身に素直とも言える。

自分の大事な時間を、わざわざ他人のために消費したくないという気持ちは、俺はもの凄く分かる。

出来れば時間を消費せずに、他人や社会へ貢献出来たらそれが最高だ。

過去に戻ることが出来ない以上、時間は価値の高い資源だ。

その大事な資源を、他人のために消費したくないと思うのは、ある意味当たり前の心情なのかもしれない。

自分の大事な時間を捧げることがしたくない。

自己中心的とも思われたくない。

それなら、他人や社会への寄付がオススメだ。

こうしておけば、

自分の時間を優先させる自己中心的な奴と思われることを緩和出来るし、むしろ周囲から感謝されることの方が多くなるだろう。


確かに寄付はお金を消費するが、

自分の労働力や時間の節約、他人や社会への貢献、他者からのイメージアップと感謝を得ることが出来る。

これはある意味で、打算的で戦略的な行為とも言えるだろう。

本当はこんな打算的なことを考えずとも、

すんなり素直に寄付出来るのが1番良いと思うけどw

おしまい。

暇なので読書しまくる その3

「誰も教えてくれないお金の話」

しないことリスト

「多動力」

「年収1億を稼ぐ人 年収300万で終わる人」

「しょぼい起業で生きていく」

「頭のいい お金の使い方」



↑2019年11月に読了した書籍である。

とりあえず暇なので、ネットで書籍を検索している。

そして個人的に面白そうだなと思うものを、メルカリで購入していくという流れだ。(購入した書籍が面白くなければ、またメルカリで売る)



あえて図書館で借りないようにしているのは、自分で身銭を切った方が、その本を真剣に読むからだ。(かといってもメルカリだけどね)


新しい知識、新しい情報、新しい考え方。

書籍を読んでそれらを知る度に、自分の世界や思考の枠組みが変化していることを実感出来るし、そこが面白いと感じるのだと思う。


また、本を読むとは、著者との対話という側面もある。

同じ地球上に生きていてもなかなか会えない人や決してもう会うことの出来ない過去の人。

そういう人たちとも、気軽に対話することが出来る書籍というツールはとても便利で、これはかなりお得な話でもある。

直接的にではないにせよ、まあ間接的に、その人に会ったみたいなものだろう。

書籍の文章に、その著者の思考や人格が反映されている面もある。

いや、もっと強く言うなら、その文章自体が著者そのものなのだ。

だから読んでいて、好きとか嫌いとか感じるのだろう。

間接的な書籍を読んで嫌いと感じるなら、直接会わない方がいいかもw


とりあえず暇なので、どんどん読んでいこうと思うが、1年後自分がどう変化しているのか、今から楽しみである。

まあ、1年後、生きているかどうかは分からんけど。(人間は1秒後死ぬかもしれないから)


また最近では、動画閲覧に時間を割く人の方が多いと思うし、俺もYouTubeでゲーム実況なんかをよく閲覧するのだけど、あえてここは読書をしておこうと思う。

日本人の平均読書量を調査したものは多いが、

月に何冊も書籍を読む人の方が、少数派だと分かる。

動画閲覧するだけよりも、月に1冊書籍を読むだけで、その辺にいる人とはちょっと違ってくる。

月に1冊読むよりも、月に5冊読むと、これまた希少性が増してくる。

月に5冊読むよりも、月に10冊読むと、さらに希少性が増してくる。

月に10冊読むよりも、月に100冊読むと、さらに希少性が増してくる。


その辺にいる一般的な多数派が行っていることと違うことをしていくことで、そこに「個性」、「特性」、「独自性」、「希少性」が生まれてくると思うので、俺はあえて意識的に読書をしている。

もちろん読書以外でも、「レア」な人になる方法はいくらでもある。

これは1つの例を示したに過ぎない。



別に読書をしている方が偉いとは思わないし、そんな選民思想的な考え方は危険だと思うが、動画閲覧するだけでも学べることや面白いことは多い。

実際、俺も閲覧していて楽しいし、文字情報だけよりも、気楽に受け取れることが利点だと思う。

(逆に言えば、書籍は文字情報だけだからしんどいという面もあるし、多くの人がしんどいと感じるからこそ、読書すること自体に希少性が生まれてくる)




書籍を読むことは、

単純に自分にとって、「面白い」・「楽しい」と 感じるから読んでいるだけだ。

暇潰しにもなるし、新たな知識や情報を獲得すれば、自分の世界や視野が広がることにも快感を覚える。

あともちろん不純な動機としては、

月に何冊も読んでいるだけで、日本でランキング上位に食い込めるし、本を月に何冊も読むだけで、

「レア人間」になれることを知ってしまったからだw (単純でお馬鹿)


「え、そんなんで良いの!?」という感覚だが、自分にとって楽勝なことが、人にとって楽勝とは限らない。また逆もしかりだが。

「俺には何も個性がない!」と悩んでいたり、

「希少性や独自性を出したい!」と考えるなら、

日本の多数派があんまりしないような、

月5冊以上の書籍を読むとかしてみるのも、1つの方法としてはアリかな思う。

もちろん読書以外でも、個性や希少性を出していく方法は、多く存在する。



(追伸)

読みたいなと感じる書籍が多過ぎて、これは人生1回で全てを読みきるのは不可能だと知ってしまった。辛い。

優先順位をつけて読んでいくしかない。



おしまい。