井口佑斗のブログ

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トーラムオンラインと人間の人生

「トーラムオンライン」をプレイしていると、人生を感じる。

このゲームは、基本的に自由だ。

ゲーム内の通貨である「スピナ」を稼ぎまくっても良いし、 ひたすらレベリングしても良い。

自分の武器や防具を精練して強化しまくるのも良いし、薬品や木材など、ひたすら素材ポイントを集めるのも良い。



何をしても良いし、何をしなくても良い。

それは各プレイヤーの自由である。

好きなようにしろとか、まるで人生ではないか。


このゲームの謳い文句には、

「自由を謳歌できる」とあるようだが、

とにかく自由を満喫出来るのがこのゲームの売りである。

が、しばらくプレイしていると、段々と飽きてくる。




人生だって同じだ。

ずっと生きていると、徐々に飽きてくる。
(もちろん飽きない人もいる)



人生もトーラムも、この飽きと戦うために、


自分で目標を設定したり、やることを見つけねばならない。


面倒だ。

面倒だが、それを楽しいと感じる人もいるだろう。



「人生は死ぬまでの暇潰し」という言葉があるが、これはまさにそうだなと感じる。


本来、地球上の人間は、別に何もしなくても良い。
(どうせ最後は死ぬから)


だがそれでは死ぬまでの間、あまりにも退屈で面白くないので、

退屈凌ぎに勝手に目標を設定し、

退屈凌ぎに勝手に目標を達成し、

そして退屈凌ぎに勝手に達成感や充実感に浸るのである。

人間なんてそんなもんだ。


目標を設定すると柔軟に対応出来ず、自分で自分の人生の枠を狭めているのではないか。


自分自身で作り出した目標や定義にがんじがらめとなり、いつの間にか身動き出来ずに苦しむのではないか。


もちろんそういう意見もあると思うし、俺にもそういう感覚もある。


しかし目標を設定するメリットもあるらしい。

人生に少しだけの「ハリ」を持たせ、死ぬまでの退屈凌ぎが可能となるのだ。



だが人生における目標の設定は、各人の好きにすれば良い。

「ハリ」を持たせて生きても良いし、ダラダラと毎日生きても良いのだ。

もうとっくに好きなようにしてると思うが、人生の素晴らしさは、こういう「自由さ」なのかもしれない。


しかし人間面白いもので、

自由だからこそ何をしていいのか迷い、自由なことに苦しむという人もいる。(人間は自由の刑に処されている)

時に自由を求めたり、時に自由に苦しんだり。

人間という生き物は、本当に忙しない生き物だ。


だが、不自由よりかは自由な方が良い。



そりゃそうなんだけど、

問題は襲ってくる「飽き」との戦いだ。

飽きてくる人生をいかに飽きないように工夫するか、自分自身を騙すか、

人間そんなクリエイティブさが必要となる。


こうすれば飽きがこないのではないか、こういうやり方ならばもっと楽しめるのではないか。


ひたすら頭を使い、ひたすら工夫する。

それが人生の醍醐味なのかもしれない。



トーラムオンラインの場合、

今日は木材ポイントを5万ポイント集めようとか、明日は100万スピナを稼ごうとか、自分で勝手に目標を設定して、毎日マンネリと戦っている。

まあ、人生も似たようなものだ。

トーラムよりかは出来ることの選択肢が多いが、

今日は腕立て伏せを1000回しようとか、今日はデリヘル嬢を10人抱こうとか、勝手に適当に目標を設定して、飽きと戦えば良い。

もちろん何の目標も設定しないで、のんびりダラダラと何もしなくても良い。

別にそこに罪悪感を感じる必要性はないし、他人がそこを責める権利もない。


人間の人生は、トーラムよりかは選択肢が多いし、人間には創意工夫する頭があるのだから、

例えこの世でどれだけ生きてみても、未経験はきっと消せないはずだ。

それなのに、「人生に飽きた。」と言ってるのは、

毎日決まりきった「ルーティン」や「習慣」にどっぷりと浸かっているからだろう。

(ホメオスタシスが働くから仕方ない面もある)



飽きてるけどそのままで良いのなら別に何の問題もないが、

飽きているのにこのままではダメだと悩んでいる人の場合、それはちょっと苦しいだろうな。



今まで自分が構築してきた「習慣」や「ルーティン」ってなかなか壊せないだろうし。

(もちろん必要なルーティンもあるので、全てを壊す必要はない)


もし少しでも変化させたいなら、

まずは1日の自分の行動を全て文章化して、客観視してみることだ。

これをしばらく続けてみる。

自分の行動の文章化を続けていると、

「あー毎日同じことをして生きているんだな。」と浮き彫りになってくると思う。

何事もまずは、客観視と現状把握からだ。


俺の場合、毎日1つ以上は初めてのことをするようにしていて、それを日記につけている。(記録しておいて時たま読み返す。また、被らないようにするため)

人生における飽きとの戦いは、結構自分の頭を使うので、

これこそがなかなか良い暇潰しではないか。











(追伸)

ゲームをしていて人生を感じるとか(笑)

おしまい。