いぐちゆうとの雑記ブログ

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死にたくなった時に試して欲しい7つのコト

今日、死にたくなった。

最近は死にたい気持ちとはおさらばしていたのだけど、こんな気持ちになったのは久しぶりだ。



まず、死にたいという気持ちを抱いたなら、なぜそのような気持ちを抱くのかを考え、それをブログで文章にして欲しい。

何か理由があるから死にたいのか、それとも何も理由はないけど、漠然と死にたいという気持ちを抱くのか。

理由があるなら、それは一体どんな理由か。

また、どういうシチュエーションの時に、死にたいという気持ちを抱いたのか。

それらを文章化することで、自分の思考と感情が整理され、死にたい気持ちを客観的に捉えることが出来る。

また文章を書いている最中に、死にたい気持ちが変化して、もう少しだけ生きてみるかという気持ちになる可能性だってある。


実際、俺の場合、死にたい気持ちになったら、このブログで文章を書くようにしているのだけど、不思議なことに、書いている中で、その気持ちが段々と薄らいでゆく。


このブログでアフィリエイトもしていないから、書いても何の儲けにもならないのに、こうしてせっせと書くのは、まだ生きていたいからだ。

ブログで文章を書くことは、死を避けるための延命策である。



死にたくなったら、ぜひ1度試して欲しい。





死にたいと思った時、俺はいつも、何かしらの作業を行ってそれを回避しようとする。


例えば、

死にたくなったら筋トレ、死にたくなったら読書、死にたくなったら音楽鑑賞、死にたくなったらポイントサイトでポイ活、死にたくなったら散歩、死にたくなったらYouTubeでゲーム実況を閲覧、死にたくなったらコーヒーをつくるとかだ。

死を避けるために、こういうワードが次々と頭に浮かんでくるが、しかし死にたくなったのは久しぶりだ。

しばらく死にたいという気持ちが顔を出していなかったので、懐かしささえも感じられ、

「やぁ死にたい気持ち。久しぶりだね。元気にしてた?」という感覚だ。


死にたい気持ちを紛らわすため、今こうしてブログで文章を書いているが、


死ぬことに関しては、世間でイメージするような大それた感じや殺伐とした感じではなく、

「もう何したら良いのか分からないや。どうしよう。とりあえずちょっと死んでみるか。」みたいな緩く適当な感じだし、

まるで自分の中に一緒に暮らしている、親しみやすい同居人という感覚なのだ。


なぜ死にたいのか。

その理由を考えてみるのだけど、それが思い当たらない。

俺の中で、1番ありそうな理由としては、

自分が身体障害者であることだが、しかしそれも、こうして三十路まで生きているのだから、理由に当たらない気がする。

もしそれが理由なら、とっくの昔に自殺を選んでいることだろうよ。

確かに身体障害は不便なことも多いし、日常生活で劣等感だらけだけど、この身体でよくここまで生き抜いてきたよなという自負が多少なりともある。


どうして死にたいと思ったのか。


それは、「なんとなくそう思った。」としか言い様がない。

もしかしたら自殺する人ってのは、

「なんとなくそう思って、なんとなく実行に移した。」みたいな人が、案外ほとんどなのかもしれない。

ふわふわとした感覚の中でな。

本当に絶望している者は、自殺する気力さえもないかもな。





自分が死んだら、この世で悲しむ人がいるのか。

それを知りたくて、1度実際に家族に聞いてみたら、俺の母方の祖母が、

「まだ生きていてよ。おばあちゃん、ゆうくんが死んだら悲しいわ。」って言っていたな。

実際に俺が自殺して、

本当に悲しむかどうかはともかく、祖母を悲しませたくないなと思った。

俺の場合、それが自殺を止める「理由」になっていたり、「抑止力」に繋がっているのかもしれない。



自殺を選んだ本人も苦しいが、遺された方も苦しいのだ。

いや、遺された方が、その苦しみは大きいかもしれない。

それを想像することが出来なくなってしまう死にたい気持ちは、時に残酷で、恐ろしくもある。



また、死にたいという気持ちを抱いてはみたが、よくよく考えてみれば、


どうせ最後は誰でも死んでしまうものだし、それが早いか遅いかだけの差に過ぎないのだと、三十路の俺は気付く。



ならば、寿命が尽きる最後の最後まで生きてみて、なるだけ人生を楽しんだ方がいいのかもしれない。


もしあなたが死にたくなったら、ぜひ俺のブログを全部読んでみて欲しい。

得るものは何もないと思うけど、

ブログで文章を読むという作業をしてる間は、ちょっとは死にたい気持ちが薄らいでいくかもしれないし、気持ちが変化していくかもしれない。


そうして延命に繋がってくれるなら、文章を書いている人間にとって、これほど嬉しいことはない。



死にたくなったら、1度俺のブログを全部読んで欲しい。

読んだらコメントをくれ。

全部読むまで自殺することは許さないし、全部読んでも許さない。

いや、本当に死にたいなら、俺にも止める権利もないけど、もうちょい生きて俺にコメントをくれよ。








死にたいという気持ちを抱き、それを少しでも消したければ、何か作業を行うのが良いと思う。



例えば俺の場合は、自分のやりたいことリストを勝手に作成して、

「これを全部消化するまでは死なん!」とか勝手に思って生きている。

自分のやりたいことを100個紙に書いてみて、それを消化していくだけでも、かなりの延命に繋がると思う。

(欲しいものリスト100とかでも良い)




もうひとつの方法としては、


麻雀、将棋、囲碁、チェス、花札、トランプの大富豪なんかのルールを覚えるとかでもいいな。

「これらのルールを覚えずに死んでいくのは恥だ!」とか言いながら、必死で覚えることに没入すれば、

かなりの延命策になりそうだ。


もうひとつの方法としては、

自殺する方法や自殺するシチュエーションはどうするのかを、ネットや書籍なんかで入念に調べるとかもありそうだな。

死ぬ方法っていくらでもあるから、それらを全部調べるだけでもかなりの時間を消費することになるし、なかなか良い延命策なんじゃないか。





後はそうだな、家の掃除をしろ。

洗濯、トイレ掃除に風呂掃除、キッチン周りの掃除等々。

探せばいくらでも掃除出来そうだ。

部屋の乱れを解消したら、きっと精神状態も良くなることだろうよ。










そういえば昔、北方謙三氏が、

「死にたくなったら、本を100冊読んでからまた会おう。その時、感想を聞かせてくれ。」みたいなことを言っていたけど、あれは本当にカッコいいなと思ったし、うまい延命策だなと思った。

そういう約束をさせることで、その人の命を救おうとしているのだから。

人と約束することって、生きる理由になり得るなと。



でも本当に死にたい時って、作業を行う気力さえわかないものだ。実際、俺もそうだ。



だからその時は何もせずに、

本当は「寝る」のが1番かもしれないな。

自殺を選んで死んでしまったなら、それで人生自体がおしまいだけど、「寝る」ことはそうはならない。

その時はたまたま死にたいという気持ちを抱いたけど、もしかして寝て目覚めたら、気分が変わるかもしれないじゃないか。

寝ることは、自分の今の精神状態をリセットしてくれるし、人生の「可能性」を残しておく、最良の方法だと個人的に思う。



実際、死にたくなったら、俺はよく寝るようにしてる。


翌朝、目が覚めて起きてみると、ちょっと気分が変わっていて、少しマシになっていることが多い。



あの死にたいという気持ちは、

睡眠不足からくるものだったのか、睡眠不足はネガティブなことを考えてしまうのだと気付く。

何かの作業を行う気力さえもなくて、死にたくなったなら、ひたすら寝るんだ。間違いない。

俺は本気でそう思うし、別に寝ることは恥でも何でもない。

心身共に、ゆっくり休めよ。


まとめると、



☆ブログで文章を書く

☆俺のブログを読む

☆やりたいことリストを作成して消化する

☆麻雀、将棋、囲碁、チェスなどのルールを覚える

☆自殺方法をネットや書籍で調べる

☆家の掃除を行う

☆寝る←多分これが1番最強

おしまい。