11月30日(金)、体調が少しマシになったので、安いスマホ用のイヤフォンとハサミを購入するため、100均のDAISOへと出かけてみた。
欲しかった目当ての物をゲットした後、
DAISOの店内で何か面白いものはないかと物色していた。
インナーのパンツや靴下、シャツが安い。
消耗品なのでこれで十分ではないか。
そう思いながら商品を眺めていると、あろうことか、なぜか嬉しくなってきたのである。
眺めるという行為、ひいては買い物を行うという行為。
自分にはその自由がある。
これは何ものにも代えがたい喜びではないか。
いや、もっと言えば、ただ生きていることが嬉しかった。
ほんの1年前のはてなブログの記事の中で、自分の境遇や車椅子常用を呪っていた時もあったくせに、車椅子で外出出来る喜びやらを感じているのだから、これまた不思議なものである。
年齢の変化によって、己の心境も変化したのだろうか。
三十路になってからというもの、なぜか全ての事が楽しいと感じる。
買い物を行うという、こんなとりとめもない日常生活の一コマでさえもだ。
車椅子常用で生活していると、確かに地獄の面もあるが、それでもこのツールを用いると、ある程度の移動は、自分の好きなように出来る。
まだまだ自由なのだ。
それと同時に、この自分の境遇に対して、感謝の気持ちがわいていた。
物事は全て、ポジティブにもネガティブにも捉えることが出来る。
また、高校生や大学生だった頃は、
「この世には、俺よりも苦しんだりしている人々がいるのだから、もっと頑張って生きていかねばならない。車椅子に乗って移動出来るのだから、まだマシな方だ。」と自分自身に言い聞かせ、毎日を生きていたが、今はそんな心境ではなくなった。
あんまり肩肘を張りすぎて生きていても、ロクなことはないと知ったからだ。
それに、自分より酷い境遇の人を見て、生きる勇気をわかせようとすることは、なんかその人を下に見ているというか、その人を踏み台にして生きているような気がしたので、これはあんまり良くないなと思ったからだ。
例えば、24時間テレビなんかを見ていると、
健常者が障害者の頑張る姿を見て、
「自分も頑張ろうと思いました。」という台詞がよく出てくるが、身体障害者の俺から見れば、あれはあんまり良い気分ではない。
「お前ら障害者のことを、自分より下に見ているだろう。」と思えてくるのだ。
だからこの考え方は、やめるようになった。
それでも、自分の境遇よりも酷い人が存在しているという事実は変わらない。
変わらないのだが、
今はこの境遇に感謝の念を持つとともに、何か自分にも、役に立つことは出来ないか、そう考える日々である。(結構寄付はする)
この文章は、ホットココアを飲みながら書いた。
おしまい。