どうも。
人生は「飽き」との闘いだ。
年々そう感じる。
アラサーの今でもこう感じるくらいだから、これがもっと年齢を重ねていけば、この想いは、益々強くなっていくのではないだろうか。
ヤバい。怖い。
自分から意識的に目新しいことをしていかないと、俺の場合はヤバい。
気付いたら似たようなことをして過ごしている。
カフェオレを飲みながら読書。
カフェオレを飲みながら音楽鑑賞。
カフェオレを飲みながら動画閲覧。
将棋の勉強をしたり、筋トレしたり。
多分このルーティーンの中で生きていける。
でもずっとこのルーティーンだけをしていると、飽きてくる。
まあ、毎日似たようなことをして過ごすことも、それはそれで一興だけど、どうせ人生の最終的なゴールは死ぬことであると決まっているなら、極力沢山の経験をしてから死にたいなと思う。
沢山の経験を積んだところでどうなるねんという想いはあるけどw
人生は死ぬまでの暇潰しで、その毎日が飽きとの闘いだと感じている俺だから、毎日意識的に異なることをしていこうと、実際に実践しているけど、有限的な人生だから、地球上の全ての経験を積むことは不可能だろう。
(人によっては、スカイダイビングを経験せずに死んだとか、大きな建物を建築せずに死んだとか、未経験の事柄が異なり、差異が生じる)
結果、有限的な人生の時間を有意義に消費しようと考え、自分が楽しいと感じることばかりして、ある程度自分の毎日の行動が固定化されてしまう。
たまには全く興味のないことをしてみるのも良いのかもしれない。
何か新しい発見があったりしてな。
でも有限的な時間を、自分の全く興味のないことに注ぐのは、ちょっと気が引けるなとも思う。
あれこれと考えてしまうタイプの人間である俺は、本当に面倒くさい。
何も考えずに未経験のことをしたり、全く興味のないことをしたい。貝になりたい。
あれこれと頭のなかで考えている内に、がんじがらめになって身動きが取れなくなり、そしていつの間にかポックリ死んでしまうと思えてきたので、
原則的に死んでしまうまでの間、自分の好きなことや興味のあることをして時をダラダラ過ごして、時たま人生にスパイスを与えるとか言いながら、自分の全く興味のないことをしたり、未経験のことをしたりすれば良いのではないだろうかという、ありきたりな結論に辿り着いた。
自分の好きなことでルーティーンを固め、時たま意識的に変化を起こす。
これが、人生の飽きを紛らわせるやり方なのかな・・・。
おしまい。