井口佑斗のブログ

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何をしていても寂しさは埋まらない だから素直に 寂しさを受け止める

どうも。

現在俺は、ひとり暮らしをしている。

物騒な堺市堺区から離れ、静かで安穏な堺市北区に帰ってきたので、今は精神的な満足感でいっぱいだ。


しかし人間は面倒な生き物で、精神的に満たされてくると、今度は刺激を欲していく。

この安定した精神状態を、ぶち壊そうとするのだ。

最近は刺激が足らず、すこぶる暇だと感じるため、

何か新しいことをすべきなのかなと思うが、一体これから何をしていいのかが分からない。

自分のやりたいことや好きなことを、死ぬまでとことんすればいいだけの簡単なお話だと知っているが、「人間は自由の刑に処されている」とサルトルが言っていた所以が、今分かったような気がする。

(つべこべ言わず、前に言っていた自動車免許を取得しろボケ)

しかも、暇だと感じると同時に、寂しさも感じる。

ひとり暮らしは気楽で快適だが、この寂しさがセットで付いてくるのは仕方ないことだ。

竹内まりやもそう歌っていた。


暇な時間があるから、寂しくなるのか。

多忙ならばきっと、寂しさなんて感じない。

だがこの年齢ともなると、この寂しささえも、愛しいと感じるし、悪いことばかりではないと気付いた。

寂しさを埋めようとしてペットを飼育したり、読書や勉強、スポーツや筋トレに打ち込んだり、何かに依存したりするという話はよく聞くが、ああいう類いではない。

何をしていても、一時的には忘れることは出来るだろう。

だけど寂しさというものは、何かで埋めようとして、簡単に埋まるものでもない。


この年齢ともなるとそれは知っているし、そもそも埋めようという考え方が違うのかもしれない。

何かで埋めようとするよりも、寂しさをありのままに受け止め、

「そうか、俺は今寂しいんだな。」と素直に寂しい自分を認めてしまえ。


普段ひとりで暮らしていて寂しさを感じるせいか、最近では、その分人に会った時にはもの凄く優しく出来る俺がいる。


「寂しさを感じる分、人は人に優しく出来る」

これをどこかのキャッチコピーにして売り出したいし、それが寂しさのメリットなのかなとふと思った。


そう考えると、寂しさもデメリットばかりではない。

物事なんて、捉え方次第だ。



また、俺という人間は、本当に厄介な生き物だなと思う。


人付き合いを極力カットしたいくせに、人とのコミュニケーションにはわりと飢えているのだ。

これは相反することだし、俺という人間は、とても面倒な生き物だ。

常に相反することを抱えながら生きている。

でもそれが人間なのかなとも思う。


一時期、よく風俗に通っていた時期があったが、あれは性欲を満たすだけでなく、単純に寂しさを埋めようとしていたのだろう。

誰かとコミュニケーションを取って、この寂しさを埋めたい。

そしてついでに、性欲も満たしたい。

その両方の欲望を叶えることが出来るため、風俗は本当に素晴らしいと思うが、コミュニケーション欲を満たすことの方が比重を占めていたと思う。


だけどな。

だけど一時的には忘れることは出来ても、何の根本的な解決策にもなってなかった。

帰宅すれば、また寂しさが顔を覗かせてくるから。


何をしていても寂しさを埋めることなんて出来ない。

それに気付いてからは、何かに依存することはやめた。

風俗も、寂しさを埋めるために利用するのではなく、単純に楽しむことにした。

この寂しさを素直に受け止めた上で、人と接する時には、極力優しくしようと決めた。

こういう風な気持ちに切り替えてからは、たとえ寂しさを感じたとしても、なんか気楽になってきた。


(追伸)

人に優しい人って、案外寂しがり屋なのかもな。




おしまい。