いぐちゆうとの雑記ブログ

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懐かしい記憶

どうも。

今年の10月で三十路となる。

この年齢になって、今は穏やかな気分だ。

でも学生時代はとにかくしんどかった。

特別支援学校は選ばず、健常者の行く、いわゆる「普通」の学校に通った。

大学まで無事に卒業出来たが、特に小学校・中学校時代がしんどかったなという記憶がある。

体力的にも精神的にも、まだそんなに余裕がなかったからな。


身体障害者で車椅子常用だから、周囲の環境に適合させるだけで、それだけでも毎日くたびれていた。

進路を選択する時も、ちょっと大変だった。

成績だけでなく、階段や段差の無い学校を選択しなければならない。

成績面よりも、環境面の制約の方がヤバかった。

車椅子の学生は受け入れることが出来ないと、某私立の高校に言われて、中学校側と少し揉めたこともあった。

「訴訟してもいいと思います。」と担任の先生に言われたけど、裁判になって長引くと、受験に支障が出るので、訴訟することはやめた。

後日、その私立高校の校長と教頭が自宅にやってきて、俺と母親に謝りにきた。

多分、訴訟されることを怖れての行動だったと思う。

ちょうどその時、担任の先生と中学の校長が俺の自宅にいたのだが、担任の方が、


「ドアを開けなくて良い。会う必要なんてない。」と俺と母親に向かって言ってのけた。

さらに中学の校長は、ドア越しの私立高校側の校長と教頭に向かって、

「また後日、中学の校長室にそっちから謝罪に来い。」と言った。

実際、後日になって、私立高校の校長と教頭が、中学にやってきて、謝りにきた。


何かあの時の二人の態度はかっこ良かったと、今でも覚えてる。

当時中学の校長は、生徒たちにアダ名をつけられて馬鹿にされていたけど、俺にとっての印象は違っていた。

「生徒の俺を守ろうとしてくれている。やっぱりこの人は、校長になっただけあるなー。」と子どもながらにそう感じていた。


他にも色々、ドタバタを経験した。

普通の学生よりも、考えなければならないことが多かったし、しんどいことも多くあったが、俺は頑張ったと思う。

誰も褒めてくれないから、有森裕子みたいに、自分で自分を褒めてやりたい。

おしまい。