井口佑斗のブログ

井口佑斗のブログです。

猛烈に書きたくなって書き、そしてしばらく途絶える これが俺のいつものパターンだ

どうも。


しばらくブログ更新が途絶えていたくせに、最近また急に書きたくなってきたので、こうして書いている。

まるで絵具や歯磨き粉のチューブの中身を絞り出すかのように、何か自分の中で溜まってきたものを、こうしてブログに吐き出している次第である。

愚痴や文句を書くこともあるだろうけど、基本的には、自分の中で沸き上がってきたくだらん考えを、ここに記録しておくという感じだ。

ブログは素晴らしい。

後でいつでも自分で読み返すことが出来るし、過去の自分が一体どんなアホなことを考えて生きていたのか、それを振り返ることが出来るからだ。

現在29歳であり、来年の10月で三十路になるが、俺はようやくここにきて、ひとつの偉大なる発見をしてしまった。

その発見とは何か。


本当は誰にも教えたくないのだが、今日は特別に教えてあげようと思う。




俺のブログ更新のパターンは、何日間かは継続して連投するのだが、またそれっきりしばらく更新が止まるのである。そしてまた何日間か継続して、立て続けに連投するのだが、またしばらく書かなくなるのである。



これが俺が発見したことだが、きっと驚かれたに違いない。

そりゃそうだ、驚くのは無理もない。

何せあまりにも発見したことのスケールがしょぼいし、このパターンを発見したのが、29歳なんだからな。

昔から俺のブログを読んでくれている人は、こんなことは、とっくの昔に知っていたかもしれない。

気付くのが遅すぎるだろ、このポンコツボランチ


じゃあなぜ俺は、連投してしばらく書かなくなるのか。

その答えは明白だ。

自分の中に溜まっていた考えを吐き出してしまったならば、スッキリ満足してしまうからである。

すぐに中身が尽きるなんて、とてつもなく底が浅いし、あまりにもストック量の無さに愕然とするし、もうこの野郎、恥ずかしい限りだが、これが真実のようである。




またこの更新パターンを踏襲するのだろう。

そんな予感に満ち溢れている。


そりゃ俺だって毎日ブログを継続して書いてみたい。


それが出来るならば理想的であるし、越したことはないが、それが出来ない人間なのである。

どうも毎日継続してブログを更新するということが、苦手を通り越して、もはや不可能らしいのだ。

何かひとつのことを、毎日継続することが出来ない人間なのかと問われるが、別にそういうわけでもないから、余計に話が面倒くさい。

なぜなら、クラッシュオブキングスや将棋は、毎日欠かさずに行っていて、習慣化出来ているからである。

自分の中に溜まった考えを外に向かって吐き出すことが出来たら、結構満足してしまう質で、それが継続出来ない理由かもしれない。



あと自分の中で継続出来ないことを、そんなに悩んでいないことも、少なからず影響しているのであろう。


毎日欠かさずにブログを更新している人は、本当に凄いなといえば凄いし、別に凄くないなといえば凄くない。


たまーに猛烈にブログを書きたくなって、ガンガンしばらくは連投するのだが、またどうせしばらく書かなくなるだろうよ。同じ脳ミソを持つ限りな。




さて、話は変わる。

たまーに猛烈に書きたくなるブログ。


じゃあそのブログは、俺にとって一体どんな意味を持つのであろうか。

これを突き詰めて考えてみたが、結局全ては、自分のためであるという答えに辿り着いた。

理由を4つ列挙しよう。

①暇潰しになるからである。


②自分の考えを整理したり、まとめたりすることが出来るからである。

③ここに記録しておけば、昔の自分の考えを、いつでも振り返ることが出来るからである。


④ブログを書くという行為自体が楽しく、そこに興奮を覚えるからである。
(俺にとっては、自慰みたいな役割を果たしている)



これら全ては、結局自分のために書いているといえるのである。


自分自身のために書いた文章が、いつぞやどこかの誰かにとって何らかの意味を持ったり、役に立ってしまったりするというならば、それはもの凄く嬉しいことであり、理想的であり、もはや奇跡と呼べるほどである。

文章を書くという話だけに留まらず、結局全ての人間の行動は、よくよく考えれば、自分のためなのだ。

それは別に悪いことではない。

自分のためにしたことが、他者のためにもなっていたら、もの凄くハッピーではないか。

他者のためだとばかりアピールする奴よりかは、自分のためであるとはっきり言い切る人の方が、個人的には好感を覚えるのであった。


おしまい。