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三国志の陶謙と公孫瓚 果たしてどちらがクソなのか。 その2

前回の続き。

前回は、陶謙のクソエピソードを書いたが、今回は、公孫瓚のクソエピソードを書いていきたい。


〈公孫瓚 クソエピソード その1〉

当時公孫瓚は、袁紹と抗争状態にあった。


その時、上司である劉虞が、これ以上人民を苦しめてはならぬと、両者の抗争に対して、停戦を呼び掛けるも、公孫瓚はこれを拒否した。

劉虞は、人民のためを思い、公孫瓚への物資輸送をストップ。


これにキレた公孫瓚が、幽州領内で略奪行為を繰り返した。(劉虞が、融和措置の一環として烏桓族に与えた褒賞さえも略奪した)

ここに、公孫瓚の愚かさと、逆ギレを見ることが出来る。

素晴らしい。クソだ。



〈公孫瓚 クソエピソード その2〉

袁紹との抗争において、停戦はしないし、おまけに領内で、略奪行為も繰り返している。

これ以上公孫瓚を野放しには出来ない。

そう思った劉虞は、公孫瓚のいる城へと赴き、何度も面会を試みるも、結局は会えなかった。
(この時公孫瓚は、仮病を使っていた)

遂に劉虞は、部下の公孫瓚を取り除かねばならぬと決意し、兵を起こしたが、あろうことか公孫瓚は、

本来守らねばならないはずの人民を、自分の盾にして、劉虞に抗戦した。

結局劉虞は、公孫瓚による人民バリアに対して、手が出せなくなり、公孫瓚に捕らえられてしまった。

公孫瓚は、劉虞を市中で引きずり回した後、早速処刑しようとしたが、民らが、

「劉虞様をお助け下さい。」


と助命嘆願してきたので、流石に鬼畜公孫瓚も、すぐには処刑を実行することが出来なくなった。

この時季節は8月で、乾期であったが、そこで公孫瓚は劉虞に向かってこう言った。

「雨を降らせてみろや。それが出来たら、助けてやるわ。」と。

結果、雨は降らずに、劉虞は処刑されてしまう。

まあ最初から、劉虞を助ける気なんて、サラサラなかったとみえる。

やっぱり素晴らしい。クソだ。


〈公孫サン クソエピソード その3〉

公孫瓚の本拠地であった易京に、袁紹の大軍が押し寄せてきたが、公孫瓚は、

「援軍を送ってしまえば、将兵たちは必死になって戦わない。だから援軍は送らない。」とかなんとか意味不明なことを言いだし、味方の将兵に対して、援軍を送らなかった。


援軍が来ないと知った兵士たちは、上司である将軍を殺し、その首を手土産として、袁紹軍に次々に投降した。

結果、公孫瓚は敗北。

城に火を放ち、自分の家族を殺した後で、自らも自害した。


いや公孫瓚、援軍送れよ。

家族を殺さずに、自分だけ死んでおけよ。

そう思った。

素晴らしい。最初から最後までクソだった。




以上が、陶謙と公孫瓚のクソエピソードである。

それぞれ3つずつ披露したが、ちょっとここでまとめてみたい。

〈陶謙〉

・曹操に自分からちょっかいを出しておきながら、挙げ句の果てに自滅。(鮮やかな自業自得)

・招聘した人たちが仕官を断ると、脅したり、獄にぶち込んだりする。(華麗なる自己中)



〈公孫瓚〉

・上司からの停戦命令に対して、逆ギレして略奪を繰り返し行い、戦闘中は、人民を盾にしたりする。
(逆ギレ&人民バリアという偉大なるコンボ)

ZARDの永遠という曲があるが、その歌詞の中に、

「守るべきものは何なのか この頃 それが分からなくなる」とある。

もしかして公孫瓚は、こういう状態に陥っていたのかもしれない。

一刻も早く、落ちてしまった穴から、抜け出して欲しい。そう願う。


・味方に援軍を送らず、袁紹に敗北。
(当然の結果、見事なまでの自業自得)






陶謙と公孫瓚、どちらがクソな奴だと思われたであろうか。

俺から言わせれば、どちらもたいがいで、トントン。

もの凄くいい勝負が出来ると思うが、最終的な判断は、読者の皆様方に委ねたい。

おしまい。