諸葛孔明。
天才軍師だとか、1000年に1度の逸材だとか、今日でもこんな風に称されることの多い男であるが、一体彼は、どんなことを学んだのだろうか。
そのルーツを探っていきたい。
孔明は10代の頃、「徐庶・石トウ・孟建」と一緒に、遊学した。
当時の学術の主流は、訓詁注釈(くんこちゅうしゃく)というものであった。
これは、儒教の経典の一字一句に、細かい解釈を施したり、注釈をつけたりしていくのだが、仲間たちがこの学問に打ち込む中、孔明はこれを避けた。
重箱の隅をつつくような学問はせず、様々な書籍を読んで、その大略や大意を掴み、己の見聞を広めることが大事だと思っていたからだ。
正統教学である儒教も、その大略・大意さえ心得ておけばよいと考えていた。
また、当時の彼には、目標とする人物が、2人いた。
「管仲」は、春秋時代の斉の宰相で、経済政策を重視した人であり、もう一方の「楽毅」は、戦国時代の燕の軍略家で、滅亡寸前の燕を救い、仇敵の斉を追い詰めた人である。
孔明は、彼らのような人物になりたいと考えていた。
ここから分かるように、若い頃より関心を寄せていた学問は、実学である「経済と軍事」だったのである。