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孔明の天下三分の計は、本当にベストな戦略だったのか その2

前回の続き。

孔明の3つの勝算〉

天下三分の計の基本的な考え方は、長い時間をかけて、劉備勢力と曹操勢力との差を詰めていき、最終的には、劉備勢力が曹操勢力を上回り、勢力の逆転を狙うという、持久戦型の戦略であるが、孔明は、劉備曹操に勝つ見込みがまだあると考えていたからこそ、劉備との会見で、天下三分の計の構想を伝えたと思われるが、果たして孔明は、どのような勝算を、その胸の中に抱いていたのであろうか。

孔明の勝算は、次の三点なのではないだろうか。





〈第1の勝算 劉備の人柄と大義名分〉

まず第1の勝算は、劉備という存在そのものにあるのではないだろうか。

劉備は、「堯・舜・禹」三代の王道に基づく治世を復活させ、天下の万民を戦乱の苦難から救い、平和な世を築くという理想を抱いていた。

さらに劉備には、漢王室の末裔であるという大義名分があった。


そのような劉備の理想と、優しい人柄と、漢王室の末裔という大義名分の3つを持ってすれば、中原地方や江南地方に比べ、勢力基盤がまだ浮動している荊州益州の豪族の中から、劉備に味方しようとする者が、何人かは出てくるはずだろうという、期待や見込みがあったのではないだろうか。
(曹操に対して、よく思っていない豪族もいるだろうから、劉備という存在が、アンチ曹操たちの旗頭になれるという見込みもあったと思われる)




〈第2の勝算 曹操劉備の年齢差〉

次の第2の勝算としては、曹操劉備の年齢差が、7歳差という点である。

順当にいけば、曹操劉備よりも先に、早く死亡するだろう。(順当にいけばだが)

曹操の死後、魏王朝の内紛が生じて、魏の勢力の衰退が起こるのではないだろうかという見立てがあり、その好機に乗じて、かねてより考えていた、荊州益州からの挟撃作戦を、実行に移せるという勝算があったのではないだろうか。



〈第3の勝算 孔明の兄である諸葛謹の存在〉

最後の第3の勝算としては、孔明の兄である、諸葛謹が、呉に仕えて優遇されているという点である。


孔明の思い描く天下三分の計を実行するためには、とにもかくにも、まず呉と同盟を結ぶことが必要不可欠であった。

しかし、孫権サイドから、劉備と同盟を結ぶことを、拒否されてしまうという可能性もあり得なくはない。

まあ、同盟を結ぶことを孫権サイドが拒否したとしても、いずれは孫権は、曹操勢力と戦わねばならないだろうし、孫権単独で曹操と勝負するよりも、
劉備と組んで曹操に挑んだ方が、遥かにマシだ。

そういう風に、呉の勢力も考えるであろうと、孔明は予測していたであろうが、同盟を結ぶには、少しでも成功確率を上げたいと考えるのが普通だ。


幸いにもこの時、孔明の兄である諸葛謹が、呉に仕えて優遇されていた。


このパイプを使わない手はない。

兄の存在は、呉と同盟を結ぶ上で、大いに役立ち、成功確率を上げる手助けになる。

そういう見立てが、あったのではないだろうか。

次回に続く。



三国志



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