いぐちゆうとの雑記ブログ

いぐちゆうとの雑記ブログです。

「一緒に障害を背負いたくない。」 何だよその表現

2018年。

あんまり思い出せない。

引っ越しして住む場所を変えたぐらいか。

きっと他にも色々あったはずなんだが、

こうしてすぐに思い出せないのも、老化なのかもしれない。

まあ俺も、「三十路」だもんな。


出会い系アプリの「タッ○ル」で知り合った女性が自宅に来て、なぜか知らんが一緒にピザを食べた。

最初、タッ○ルでメッセージのやり取りをしていたが、向こうから急に、

「そろそろLINE交換しませんか?」と言ってきたので、

「良いですよー。」と返事した。


それからしばらくLINEで他愛もないことをやり取りしていたのだが、夜の23時頃、LINEの無料通話で電話がかかってきた。

「こんばんはー。声を聞いてみたかったから電話かけちゃった。夜遅くにごめんね。」と言われた。


「別にいいよー。」って優しく返事したら、その通話は翌朝の6時まで続いた。


その日は睡眠を取ることが出来ずに仕事をした。

この年齢ともなると、流石に徹夜で仕事はしんどかった。

優しく返事しなきゃ良かったと思った。

その2日後、

LINEで「電話していい?」と言ってきたので、


「いいよー。」とまた返事してしまった。


またその日も、向こうの電話にしばらく付き合った。


翌日も電話がかかってきて、俺も悪い気はしなかったので、付き合っていたが、

急に「今からそっちに行っていい?」と言ってきた。

女はなぜいつも、すぐに家に来るのだろうか。



その晩、俺の家に泊まっていったが、俺は別に何もせずに就寝してやった。

向こうはなんかムラムラしてる感じで、

「ここでする?それとも場所を変える?」とか聞いてきたけど、それも無視して寝てやった。


翌朝、ちょっと怒っていて、

「私を女として見ていないの?」的な感じで問いただされた。

「女体がすぐ側にあるのに、セックスしないとは何事か!」と誰かさんに怒られるかもしれない。


だけどまだ知り合ったばかりだったから、自分からはアクションを起こさなかった。

これが「ホラン千秋」だったら、間違いなく危なかった。

きっと理性を失い、猛獣と化していただろう。


その女性が帰る間際に、

「一緒に障害を背負いたくない。」と言ってきた。

意味が分からなかった。


障害を背負うって何だよその言い方。


誰かに背負って貰わなくても生きていけるわ。

別に障害を背負って欲しいなんて1度も思ったことはないし、彼女に言ったこともないし、お前は一体何を言ってるんだという気持ちになった。

俺が身体に手を出さなかったから、女性としての魅力がないと言われているみたいだと傷つき、何か俺に言わなければ気が済まなかったのだろうか。

とにかく意味不明だった。

きっと彼女、寂しがり屋だと思う。(メンヘラ)

LINEや電話の頻度でそれが分かる。

依存されても困るので、あの夜はあえて身体に手を出さなかった。

多分出していたら、そのまま結婚させられるとかありそうだから。

まあ、俺も悪いかもな。


地雷臭がすると分かっていながら、あえて全てのLINEや電話に応えていたから。



タッ○ルしていて良い出会いもあるけど、地雷女もいるから注意が必要だわ。(これはタッ○ルに限った話ではない)


「一緒に障害を背負いたくない。」というセリフ、結構傷つくセリフだわ。

そんなことを一切思わない女性が良い。





(追伸)

人生でこんなセリフ言われたことない。

今まで付き合ってきた彼女にも友達にも。

そもそもこんなことを思う人と付き合って来なかったってのが正しいかも。

あはは。笑うしかない。



おしまい。

久しぶりにデリヘルを頼んだ 快楽半分、喪失半分

急に女性を抱きたくなった。

寒風吹きすさぶ中、夜中の1時53分頃に自宅を出発した俺は、いそいそとラブホテルへと向かった。

出発する前に電話でデリヘルを頼んだのだが、いつも利用していた店は、今日は障害者NGの女性しかいないので断られた。

これにはマジか残念とガックリだった。


仕方ないので、もう一軒別の店にLINEで連絡を取り、指名はせずにフリーでお店のオススメ嬢を頼んでみた。

約1時間後、23歳のFカップ嬢と店のドライバーさんが待ち合わせのホテル前に車で現れた。

ラブホのエントランスには、3段の段差があった。

ここは車椅子と本体の俺を別々にして移動させる作戦を取った。(中学時代、これは作戦Bと呼ばれていた)

まず俺が車椅子から降り、段差の側に備え付けられていた手すりにつかまりながら段差を登った。

次にデリヘル店のドライバーさんに車椅子を持ち上げてもらった。

こうしてエントランスの段差を見事攻略した俺は、まるで全てを成し遂げた人みたいな達成感に満ち溢れていた。(まだ何も始まってもいない)

土日だったせいか、いつも贔屓にしている段差のないラブホが満室であったため、このような事態になってしまった。

まあ、仕方のない話だが、

ホテルの部屋に辿り着くまでに、己の体力と気力をだいぶ消耗した。(疲れて寝そうになった)



ドライバーさんにお礼を言って別れを告げると、部屋へと入室した。

入るや否やお互いに服を脱ぐと、すぐさまお風呂へと向かった。

イソジンでのうがいと歯みがきをしている最中に、嬢は手際よく洗面器で泡を作っていた。

「もしかしてソープに勤めていたことある?」と尋ねると、

「うん勤めていたよ!今までAV以外の仕事は経験してる。グラビアもデリヘルもソープもキャバクラもピンサロも。」との返事が。(オールラウンダーかw)

やっぱりなと思ったよ。

だってあまりにも手際が良かったからw


嬢が入念に俺の股関を洗い終えると、二人でベッドへと直行した。

肉付きの良いお尻を触りまくり、Fカップの胸が俺の腕や胸に当てられると、快楽の波が押し寄せてくる。

これよこれこれ。

あー生きていて良かったなと思う。

しかしこうやって女性と身体を重ねる度に思うことは、俺も体位の1つである「駅弁」が出来たらなということだ。
(出来なくても良い体位w)

出来ない体位がくっきり判明すればするほど、

身体障害者」というもう1つの顔が覗いてくる。

「ああやっぱり俺は身体障害者なんだな。」と嫌でも再認識させられる。

なんというかその、忸怩たる思いがある。

俺にとって女性と身体を重ねることは、

「快楽半分、喪失半分」といったところか。

なんかその、辛いけど気持ちいいね。

気持ちいいけど辛いね。

おしまい。




(追記)

ギャルズネットワーク大阪店

お世話になったお店です↓

手伝って頂き、誠にありがとうございました!



https://www.galsnetwork.net/osaka/sp/top.php




退屈なら、相手にこの身を任せてみる

「人生は退屈だ。」


わりとそう思うことが多い。

しかし気付いてしまった。

そもそも人生というものは、元々単調で退屈なものだと。

ならばそれを、

刺激的な毎日になるように、自分自身の頭で考え、新しいことに挑戦したり、新しいことを自分の生活の中に取り入れたりせねばならない。


アラサーともなると人間生活にだいぶ慣れ、わりと多くのことを経験してきている。

それに、だいたいの生活のルーティンが凝り固まってしまっているので、これを意識的に変えたり、破壊したりせねばならないのだ。

いかに人生を面白くしていくか。

自分の人生は、自分で面白くするしかない。

自分の人生は、自分で点火するしかない。

ずっとそう思っていたが、

先日、ちょっと違う観点から退屈凌ぎを提唱している、あるブログを見つけた。

内容は、

「毎日が退屈に感じるなら、自分の人生を相手に任せてみよう。」という内容だった。


やり方は至って簡単で、

自分の友達や知人に向かって、

「どこでもいいから私を誘って下さい。何でもするから私を誘って下さい。」とお願いするらしい(笑)

これを最初読んだ時、ちょっと笑ってしまった。

あまりにも他力本願だからだ。

自分の人生を相手に委ね、この身を流れに任せる。

いくら自分の知人や友人相手と言えども、

この一言は勇気がいる。

なかなかの猛者だ。



しかしこれは、素直に面白いと感じた。

案外、良い方法なのかもしれない。


「無償で引っ越し作業を手伝え。」とか「無償で家の蛍光灯を交換してくれ。」とか、

ここぞとばかりにタダ働きさせられる確率は大であると思われるが、そもそも一体どんなことを言われるのかが分からないので、ちょっと怖い(笑)

確かに、ハラハラドキドキする要素もあるから、退屈な人生に刺激を与えそうだが、リスクも相当だ。

まあ、1人で退屈な時を過ごすよりかは、遥かにマシだと考えるのか(笑)


書き手は、

「迷惑やトラブル大歓迎!」と書いていたが、

そのスタンスは、天晴れなものである(笑)

おしまい。

死にたい気持ちと向き合っていたら、世界中の幸福を願うようになっていた

どうも。

久々にここで文章を書く。

読者の皆様には更新が全然なくて申し訳ない。

基本的に俺は、書きたいと思った時にしか書かない。

書くことがなければ無理には書かない。


だが今、久々に文章を書きたいなと思ったので書く。


文章を書く時は、楽しかった思い出を綴るためであったり、自分自身の思考や感情の整理を行うためであったり、文章化して客観的に己を見つめ、自省するためであったりと、その意味合いは様々である。

が、だいたいの傾向として、


自分自身がネガティブモードというか、ダウナーモードに陥った時の方が多い。


あれこれと考え過ぎて、勝手にネガティブモードに陥っているのだから世話がないが、

日常生活を送る内に、静かにそして着実に、

心の中に溜まってしまったものを外へと放出するために、または精神衛生を清い状態にするために、

己にとっては文章を書くという行為は必要だ。


ここで好き勝手に文章を撒き散らし、

自分だけがスッキリして、逆に読み手は不快になったり、陰惨憂鬱な気分になったりしているのであれば、それは本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだが、

他の人の心に何かしらの影響を与えるような文章を書くことが出来たという見方も出来るが故に、

申し訳ないという気持ちと書き手としては嬉しいという気持ちが同時に起きてくるので、これは本当に複雑な心境だ。


前置きはこの辺にして、

なぜ久々に文章を書きたいと思ったのか。

それはつまるところ、

今日もまた、死にたいなと思ったからである。



自殺を考え始めた時には、

だいたい寝るか文章を書くかで死にたい気持ちを紛らわし、延命策に打って出るのだが、

生憎今日はまだ眠くない。



だからこうしてブログに、死にたいなと思ったことを文章にして、なんとか沈静化を試みているのである。

しかし面白いもので、


このブログで文章を書きながら、


あれやこれやと物事を色々考えている内に、


「ま、とりあえずまだ生きてみるか。」というしょうもない結論に辿り着いた。



「死にたい」という希死念慮が頭の中を占拠し始めた時、

音楽を聴いてみたり、文章を書いてみたり、動画を閲覧してみたり、コーヒーを飲んでみたり、トイレに行ってみたり・・・。



わざと自分自身を忙しい状態にして、何とか凌ごうと試みる行為は、

気づけばそれが10年以上も続いている。

あと1秒、あと1秒生きてみるか。

あと1秒生きてみたら、もしかして今の死にたい気持ちや心境が、変化しているかもしれない。

そんなことを考えながら、様々な延命策に走る。

まだ生きていたいと思うから、延命策に走るのである。


これもそうだ。

ここで文章を書くという行為も、その内の一環なのだ。


死にたい理由もないが、生きている意味もない。


こういう人間という生き物の虚しさに気付いた時からが、本当の始まりであり、ここから本番がスタートするのかもしれないが、ひとつ言えることは、

どうせまだ生きるなら、自分の幸福を願うだけでなく、


自他共に幸福にしていきたいということだろうか。


自分も幸せ、相手も幸せ。


そんな世の中は素晴らしいと思うが、

実現させることは難しいということも知っている。




世界中の人々が幸福でありますように。

おしまい。

「マレニア国の冒険酒場」と「炒め油香るチャーハン」 今ハマっているもの2つ

どうも。

今ハマっているものが2つある。


それは、

スマホアプリの「マレニア国の冒険酒場」と、

セブンイレブンが販売している、

「炒め油香るチャーハン」だ。

ひたすらプレイし、ひたすら食べている。



「マレニア国の冒険酒場」の本編は、840円で購入することが出来るが、途中までのお試しプレイを行って、それがあまりにも面白かったので、つい購入してしまった。



このゲームは探索を行ったり、モンスターを倒すと食材が手に入る。


手に入れた食材を用いて料理を作成し、

自分たちが経営している酒場でお客さんに売りだしていくのだが、

最終的に、親父の借金のせいで銀行の管理物件となってしまった自分たちの家や土地を取り戻すのが目的である。


最終的な目的が、闇に覆われた世界を救うとか、竜王を倒すとかではなく、自分たちの家と土地を銀行から取り戻すというなんとも地味でスケールの小さいものだが、かえってそれがリアリティーを高めている。

ある日突然、親父の借金のカタとして、自分たちの家と土地が銀行に取り上げられて管理されてしまう場面とか、あまりにも現実味が溢れているので、プレイの最中に思わず笑ってしまった。

(同じような経験をされている方、ごめんなさい)



また、料理のレシピをコンプリートするだけでもかなりの時間を消費するので、これはなかなか良い暇潰しを見つけたのではないだろうか。

まだ酒場ランクが4であるため、今後どうなっていくのか分からないが、とにかく楽しみである。



また、他のRPGとは一味違うなと思った特徴としては、主人公たちのレベルは、料理を食べることでしか上がらないという点である。(モンスターを倒してもレベルアップのための経験値は入らないが、スキルの経験値は入る)


料理レシピをコンプリートし、目的の1つである家と土地を取り戻せるよう、今後もプレイしていきたい。



このゲームは、牧場物語とか好きな人にはオススメだが、

基本的には、

「食材を集める」→「料理を作成する」→「酒場で売る」ことの繰り返しである。

そのため、同じようなことを繰り返すことを嫌う人やコツコツ系が嫌いな人には向かないかもしれない。





そしてもう1つのハマっているものとしては、スマホアプリではなく、単に食べ物である。

セブンイレブンが販売しているこのチャーハン。

あまりにも美味しいので大量購入し、今も冷蔵庫の中にストックしてある。


こんなにも1つの商品にハマったのは久しぶりだ。


子どもの時からよく好んで食べていた、


辛いお菓子の「タラタラしてんじゃねぇ〜よ」以来だと思う。(昨日、久しぶりにセブンイレブンに行って、タラタラしてんじゃねぇ〜よを購入した)


最近の冷凍食品は本当に美味しくなったなと、オッサンの俺は感心するばかりである。(この発言自体がオッサンの証)



多分どうでもいいと思うけど、

俺が今ハマっているものを2つ紹介した。

2つともオススメなので、良かったらお試しあれ。



おしまい。

2019年の始まり

明けましておめでとうございます!

今年も宜しくお願い致しますm(__)m




2019年である。

去年は引っ越ししたことと、出会い系アプリで知り合った女が実はデリヘル嬢で、自宅にやってきてはなぜか一緒にピザを食ったぐらいしか記憶がない。



今年はどんな年にしていこうか。

それは己次第だが、今から楽しみである。




今年もこのブログを宜しくお願い致しますm(__)m


おしまい。

死にたくなった時に試して欲しい7つのコト

今日、死にたくなった。

最近は死にたい気持ちとはおさらばしていたのだけど、こんな気持ちになったのは久しぶりだ。



まず、死にたいという気持ちを抱いたなら、なぜそのような気持ちを抱くのかを考え、それをブログで文章にして欲しい。

何か理由があるから死にたいのか、それとも何も理由はないけど、漠然と死にたいという気持ちを抱くのか。

理由があるなら、それは一体どんな理由か。

また、どういうシチュエーションの時に、死にたいという気持ちを抱いたのか。

それらを文章化することで、自分の思考と感情が整理され、死にたい気持ちを客観的に捉えることが出来る。

また文章を書いている最中に、死にたい気持ちが変化して、もう少しだけ生きてみるかという気持ちになる可能性だってある。


実際、俺の場合、死にたい気持ちになったら、このブログで文章を書くようにしているのだけど、不思議なことに、書いている中で、その気持ちが段々と薄らいでゆく。


このブログでアフィリエイトもしていないから、書いても何の儲けにもならないのに、こうしてせっせと書くのは、まだ生きていたいからだ。

ブログで文章を書くことは、死を避けるための延命策である。



死にたくなったら、ぜひ1度試して欲しい。





死にたいと思った時、俺はいつも、何かしらの作業を行ってそれを回避しようとする。


例えば、

死にたくなったら筋トレ、死にたくなったら読書、死にたくなったら音楽鑑賞、死にたくなったらポイントサイトでポイ活、死にたくなったら散歩、死にたくなったらYouTubeでゲーム実況を閲覧、死にたくなったらコーヒーをつくるとかだ。

死を避けるために、こういうワードが次々と頭に浮かんでくるが、しかし死にたくなったのは久しぶりだ。

しばらく死にたいという気持ちが顔を出していなかったので、懐かしささえも感じられ、

「やぁ死にたい気持ち。久しぶりだね。元気にしてた?」という感覚だ。


死にたい気持ちを紛らわすため、今こうしてブログで文章を書いているが、


死ぬことに関しては、世間でイメージするような大それた感じや殺伐とした感じではなく、

「もう何したら良いのか分からないや。どうしよう。とりあえずちょっと死んでみるか。」みたいな緩く適当な感じだし、

まるで自分の中に一緒に暮らしている、親しみやすい同居人という感覚なのだ。


なぜ死にたいのか。

その理由を考えてみるのだけど、それが思い当たらない。

俺の中で、1番ありそうな理由としては、

自分が身体障害者であることだが、しかしそれも、こうして三十路まで生きているのだから、理由に当たらない気がする。

もしそれが理由なら、とっくの昔に自殺を選んでいることだろうよ。

確かに身体障害は不便なことも多いし、日常生活で劣等感だらけだけど、この身体でよくここまで生き抜いてきたよなという自負が多少なりともある。


どうして死にたいと思ったのか。


それは、「なんとなくそう思った。」としか言い様がない。

もしかしたら自殺する人ってのは、

「なんとなくそう思って、なんとなく実行に移した。」みたいな人が、案外ほとんどなのかもしれない。

ふわふわとした感覚の中でな。

本当に絶望している者は、自殺する気力さえもないかもな。





自分が死んだら、この世で悲しむ人がいるのか。

それを知りたくて、1度実際に家族に聞いてみたら、俺の母方の祖母が、

「まだ生きていてよ。おばあちゃん、ゆうくんが死んだら悲しいわ。」って言っていたな。

実際に俺が自殺して、

本当に悲しむかどうかはともかく、祖母を悲しませたくないなと思った。

俺の場合、それが自殺を止める「理由」になっていたり、「抑止力」に繋がっているのかもしれない。



自殺を選んだ本人も苦しいが、遺された方も苦しいのだ。

いや、遺された方が、その苦しみは大きいかもしれない。

それを想像することが出来なくなってしまう死にたい気持ちは、時に残酷で、恐ろしくもある。



また、死にたいという気持ちを抱いてはみたが、よくよく考えてみれば、


どうせ最後は誰でも死んでしまうものだし、それが早いか遅いかだけの差に過ぎないのだと、三十路の俺は気付く。



ならば、寿命が尽きる最後の最後まで生きてみて、なるだけ人生を楽しんだ方がいいのかもしれない。


もしあなたが死にたくなったら、ぜひ俺のブログを全部読んでみて欲しい。

得るものは何もないと思うけど、

ブログで文章を読むという作業をしてる間は、ちょっとは死にたい気持ちが薄らいでいくかもしれないし、気持ちが変化していくかもしれない。


そうして延命に繋がってくれるなら、文章を書いている人間にとって、これほど嬉しいことはない。



死にたくなったら、1度俺のブログを全部読んで欲しい。

読んだらコメントをくれ。

全部読むまで自殺することは許さないし、全部読んでも許さない。

いや、本当に死にたいなら、俺にも止める権利もないけど、もうちょい生きて俺にコメントをくれよ。








死にたいという気持ちを抱き、それを少しでも消したければ、何か作業を行うのが良いと思う。



例えば俺の場合は、自分のやりたいことリストを勝手に作成して、

「これを全部消化するまでは死なん!」とか勝手に思って生きている。

自分のやりたいことを100個紙に書いてみて、それを消化していくだけでも、かなりの延命に繋がると思う。

(欲しいものリスト100とかでも良い)




もうひとつの方法としては、


麻雀、将棋、囲碁、チェス、花札、トランプの大富豪なんかのルールを覚えるとかでもいいな。

「これらのルールを覚えずに死んでいくのは恥だ!」とか言いながら、必死で覚えることに没入すれば、

かなりの延命策になりそうだ。


もうひとつの方法としては、

自殺する方法や自殺するシチュエーションはどうするのかを、ネットや書籍なんかで入念に調べるとかもありそうだな。

死ぬ方法っていくらでもあるから、それらを全部調べるだけでもかなりの時間を消費することになるし、なかなか良い延命策なんじゃないか。





後はそうだな、家の掃除をしろ。

洗濯、トイレ掃除に風呂掃除、キッチン周りの掃除等々。

探せばいくらでも掃除出来そうだ。

部屋の乱れを解消したら、きっと精神状態も良くなることだろうよ。










そういえば昔、北方謙三氏が、

「死にたくなったら、本を100冊読んでからまた会おう。その時、感想を聞かせてくれ。」みたいなことを言っていたけど、あれは本当にカッコいいなと思ったし、うまい延命策だなと思った。

そういう約束をさせることで、その人の命を救おうとしているのだから。

人と約束することって、生きる理由になり得るなと。



でも本当に死にたい時って、作業を行う気力さえわかないものだ。実際、俺もそうだ。



だからその時は何もせずに、

本当は「寝る」のが1番かもしれないな。

自殺を選んで死んでしまったなら、それで人生自体がおしまいだけど、「寝る」ことはそうはならない。

その時はたまたま死にたいという気持ちを抱いたけど、もしかして寝て目覚めたら、気分が変わるかもしれないじゃないか。

寝ることは、自分の今の精神状態をリセットしてくれるし、人生の「可能性」を残しておく、最良の方法だと個人的に思う。



実際、死にたくなったら、俺はよく寝るようにしてる。


翌朝、目が覚めて起きてみると、ちょっと気分が変わっていて、少しマシになっていることが多い。



あの死にたいという気持ちは、

睡眠不足からくるものだったのか、睡眠不足はネガティブなことを考えてしまうのだと気付く。

何かの作業を行う気力さえもなくて、死にたくなったなら、ひたすら寝るんだ。間違いない。

俺は本気でそう思うし、別に寝ることは恥でも何でもない。

心身共に、ゆっくり休めよ。


まとめると、



☆ブログで文章を書く

☆俺のブログを読む

☆やりたいことリストを作成して消化する

☆麻雀、将棋、囲碁、チェスなどのルールを覚える

☆自殺方法をネットや書籍で調べる

☆家の掃除を行う

☆寝る←多分これが1番最強

おしまい。