どうも。
人生は短いー。
セネカはそう言っていたが、
俺にとっては長く感じる。
学生時代はあっという間に過ぎ去ったが、それが終わった途端、何か消耗したというか、燃え尽きた感がある。
俺は特別支援学校ではなく、いわゆる健常者の通う一般的な学校に通った。
身体障害だけなのだから、極力普通の学校に通わせたいという母親の意向があった。
通えるならその方が良いと、保育園の園長先生もそう言った。
幼いながらも、俺もその方が良いと考えていた。
通いだしてからは、とにかく周囲の環境に合わせるのが大変だった。
中学時代までは、腰と両足にコルセットを装着していたのだが、特にトイレに行くのがしんどかった。
「用を足す前に一旦コルセットを取り外す→用を足す→また装着する。」というプロセスを経なければならなかった。
結構これが時間がかかるため、休み時間の10分間は必死のパッチだった。
(次の授業が移動しなければならない時は、本当にヤバい)
学校側は、授業に少し遅れても良いと考慮してくれていたが、俺自身のプライドがそれを許さなかった。
授業に遅れてはならないと糞真面目に思っていたため、移動を伴う授業の際には、トイレには行かず我慢した。
特に音楽の授業がヤバかった。
中学はエレベーターも設置されてなかったから、階段を昇り降りする介助を行ってもらう必要があった。
介助してくれる先生は決まっていたのだけど、来てくれることが遅い時もあった。
いや、手伝ってもらえるだけで有難いし、向こうの先生たちにも都合があるのは分かるのだけど、内心、本当はもっと早く来てくれと思っていた。
それでも先生たちには文句を一切言わず、ただただ「感謝」のみを伝えていた。
関係性にヒビを入れては何かと不都合が生じるだろうし、穏便なフリをしている方が何かと都合が良いのだ。
しかも音楽教室が1番上にあったため、普通にトイレに行ってたら、間に合うわけがなかった。
あんなの絶対無理ゲーだろw
とにかく根性だけで通っていた感がある。
あの経験が、どうすれば上手くいくのかと考えるきっかけになったし、創意工夫を行う「思考力」が培われたと言っても過言ではない。
若くして俺は、「忍耐」と「打算」を覚えた。
高校時代は途中からエレベーターを設置してもらえたし、コルセットも装着しなくて良いとなったので、中学時代よりかは快適であった。
(予算もおりたし、日頃井口は頑張っているので、エレベーターを設置すると東野先生に言われた時は嬉しかった)
必死になって周囲の環境に合わせていた頃が懐かしい。
それが終了となった瞬間、何か緊張の糸がプツリと切れた。
今は本当に穏やかな生活となったが、穏やか故に張りがなくなってきているとも感じる。
これ以上、人生の消化試合が続くかと思うと、辟易する。
そんなことをここで言ってる奴が、時が経てば、反対のことを言ったりしてなw
今は29歳で、10月がくればいよいよ三十路となるが、さてこれから何に時間を使っていこうか。
最近、この年齢になって、こう考えることが余計に多くなってきた。
たった一度きりの有限的な人生だ。
今までの人生において、
後悔しまくったことなんていくらでもあるが、悔いのない人生を歩みたい。
こうやって悩んだり、ブログを書いて回顧している間にも、時は刻一刻と進んでいる。
確実に、人生の最終的なゴールである「死」へと向かっているのだ。
果たしてこの限られた時間を、どんな風に使っていくべきなのか。
それを考えることこそが、人生において1番難しいのかもしれない。
(時間だけでなく、お金の使い方も)
勉強や仕事、恋愛に費やすのも良し。
趣味に興じたり、親しい人たちとの交流を深めるも良し。
未経験のことを、どんどん積極的に行っていくのも良し。
また、ゆっくりと静かな時を過ごし、己の精神や心を豊かにするのも良しだ。
自由に費やして良い時間。
自由だからこそ、こうやって悩むのだろうなきっと。
読者の皆さんは、果たしてどのように費やすのだろうか。
おしまい。